コインケースにつかっていたぶりぶりざえもんの顔をあしらったポーチを手放した。

新宿の病院にいった帰りに歌舞伎町のバッティングセンターで一打席だけ振る。それは通院の日の帰りみちにわりといつもやるルーチンで、そのときに尻ポケットからぶりぶりざえもんを出した。

西武線で最寄りの駅についてしばらく家路を歩いて、ふと尻を触ったときに、ぶりぶりざえもんを忘れてきたのに気づいた。はっとした。でも足はたいして止まらなかった。電話をかけて落とし物をたずねる気持ちにもならなかった。痛ましさ、どうでもよさ、それからようやく手放せたという気持ちが絡まっているみたいだった。

大人になったからちゃんとした財布を持とうとおもって、社会人の一年目のときにレザーのやつを買ったのだけど、なんどか落とし物にしたあとついになくした。それもわりとすぐ、三ヶ月かそれくらいのあいだのことだった。たしかもうひとつ買い替えたコインケースも手に入れてすぐなくした。そもそも似合っていなかったんだとおもう。

そのとき仲のよかった年上の友だちが、ぼくが財布をなくし続けているのを知って、誕生日プレゼントといってくれたのがそのぶりぶりざえもんのポーチだった。まあ子ども向けのグッズで、特別に仕立ててあるわけでもない。冗談だったわけだ。中目黒の焼肉屋さんでたしか誕生日を祝ってもらっていた。なくしてもいいけどなくすまでは大事に使えよといわれた。

で、たしかにこれならなくしても構わんとおもって気軽につかって、もう六年も七年も使い続けてしまったことになる。そのあいだに友だちとはもう会わなくなった。冗談ばかりいうひとだったが、笑えない冗談をなんどか続けてよこされたときに、もういいやとおもって距離をとった。それでそのままだ。懐かしいとこそおもっても、それだけだ。

死んだひとの形見の品みたいにぶりぶりざえもんが残っていて、いったいいつになったらぼくはとうとうこれをなくすんだろうなとたまに考えることは何度かあった。離れたばかりのときにはよくそう考えたものだったが、近ごろはもう考えることもすくなくなった。不意に手元からなくなったときに、こういうことをいちどにおもいだしている。

小銭はいくらかはいっていたし、新宿まで往復する電車代よりも価値のある大きいコインもあったとおもう。思い出すことの大きさはとうぜんコインの重さでは量れない。取り戻すための努力をする理由はいくらでもひねり出すことができるはずなのに、ぼくはその逆にこうおもった。これはこれでいいのかもな。

おもえばいまぼくは、あのときのあのひとの年齢に立っている。絶交させてもらいたいと突きつけたときのぼくは若かった。とつぜん離れることの悲しさがどんなものか、あんまりわかっていなかった。むごいことをしたものだ、ぼくにはぼくの悲しみがあったとはいえ。そうはいっても、あのときからみるみる変わったのはぼくだけであって、あのひとはたいして変わらずにのんきに、適当に、乱暴に生きている、そういう気もする。そう考えるほうがどうやらいくらか健康な気分にはなるようだ。