三連休の最終日に銚子へとツーリングにでかけた。

素晴らしい好天の予報だった。いったいどれだけぶりにこんなにすっきり晴れるだろう。しかもその晴れが休日にやってくる。この晴れの日が最後の晴れの日で、あとは冬がやってくるだけだ、そうにちがいない。こうとみえて、思い立って選んだ行き先を銚子にしたのは、港の食事をして晴れた海をみるためだけだった。帰り道に佐倉によって、もうすぐ休館する川村美術館を詣でようとももくろんでいた。

未明に首都高速にのりこんで、常磐道をめざして東にすすんだ。線香花火のようにゆらめくおひさまが濃いオレンジ色でのぼりはじめるのが視界のなかにまっすぐとびこんできた。空気が藍色から薄紫にかわっていくのを息をのむようにみつめた。

首都をはなれて、柏をとおりすぎていく。そのあたりで地図アプリのナビゲーションが調子をわるくした。目的のインターチェンジは東稲敷だとおぼえてきたからその名前を待っているのに、谷和原で降りろ、谷田部で降りろ、そしていますぐ来た道を引き返せ! とまるで話にならない。それでいて、東稲敷まではひたすらまっすぐ進むものだと思いこんでいるこちらに、まっすぐ進むといわき、分岐すれば成田というジャンクション案内がとびこんでくる。まっすぐいけば銚子の方角というのは幻想であったか?

はじめて通る高速道路でのアドリブほどこわいものはないとおもいながら成田に舵をきろう。いまとなってはこの道のさきにたしかに稲敷市があることの答え合わせが済んでいるからなんともないように語ることができるけれども、ずいぶん不安なおもいをして走っていたものだった。分岐すれば成田という表示はいちどだけみえてそのあとは消えてしまって、ほんとうに間違わずに走れているのかもわからずにいた。路傍の表示にみえるのは、牛久とか阿見とか、見慣れない地名ばかりだ。追い越し車線もなくなってしまったから、のんきに減速して考えを整理する余裕ももちづらい。極めつけに、道路そのものが風をさえぎる壁をなくして、まだ明け方のいちにちでいちばん寒い時間帯の冷たい空気がびゅんびゅん吹いて、身体から熱をうばっていく。こんなにつらいおもいをするのであれば、あたたかい布団にとどまって黙って二度寝でもしていたほうがどんなによかっただろう! 心からそうおもうくらいにしょげていた。

とはいえ、やがて東稲敷インターチェンジの案内がみえた。もうすこしで降りられると安心したところで、もっとはやくにあってほしかったパーキングエリアもあらわれたから、ようやくいちど止まって休憩もした。自動販売機にあたたかいココアをもとめて、すぐに飲みもせずにじっくり握って指先がほぐれるのを待った。それくらい寒さがこたえていた。気温は10度で、高速道路の風をあびまくっただけ、体感温度はそれよりもいっそう低かった。

高速道路をおりてから銚子市までもまず長い。60kmほどの道のりを、ひたすら利根川の北岸に沿って東にむかっていく。土手にさえぎられて川こそながめながら走るわけにはいかなくても、景色は人工の田んぼから天然の沼地にうつろって、退屈せずにはしった。だんだんおひさまがのぼってあたたかくなる気配がする。そうはいってもまだ寒いから、途中のコンビニでもういちどあたたかいコーヒーをもとめて指先をじっくりあたためた。

銚子大橋をわたって千葉県にはいる、銚子だ。9時わずか前に到着して、おおむね予定通りだ。もうすこしはやく着く経路もあったけれど、つくばのほうをおおきく回りこんでやってきたのは、渋滞を避けられるくらいにはやく首都をはなれて、しかも港の食堂の開きはじめる9時にちょうど銚子に到着するのをみはからっていたのだった。とはいえ、この日は港のカレンダーも振替休日の月曜日で、いくつかのお店はおやすみ。したがっておのずと観光施設「ウォッセ21」をおとずれた。そこにある食堂「まほろば」で海鮮丼をたべるため。脂ののったお刺身を最後にとっておいてがっつくのも美味だったけれども、酢飯にイカ刺しをのせただけで醤油もかけずにほおばることの、おどろくほどの美味しさを一口目に味わったことが舌にとってのなによりの思い出になったようだ。あさごはんにやっとありついて、空腹がすばらしい調味料の役割も果たしていただろう。

ちかくの施設を見物する。食堂の接客係のおばさまが世話を焼いてくれて、市内観光の割引券をくれたから、さしあたりポートタワーをのぞいてみる。いまそれに沿って走ってやってきた利根川のひろい河口が海につながっているのがみえる。この利根川が、江戸時代に江戸に向けた海運の拠点地として、紀州から働き手をたくさん集めたことをおぼえた。もともと北関東から江戸にまっすぐ注いでいた利根川を東にぐいっと曲げていまの流域に作り変えたのは徳川時代であることも。それから「ヤマサ」「ヒゲタ」のふたつの醤油メーカーがどちらも江戸時代初期の銚子で創業した事業であることも。市内、駅前のあたりと、倉庫が立ち並んで埋立地らしい場所をすこし走り回ってから犬吠埼にゆく。

犬吠埼にいたる道こそ、東の海に向かってまぶしくひらけた道で、海は光って気持ちいい風をとおしてよこして、すばらしい走り心地だった。犬吠埼は、その海をみつめてひとやすみするのに絶好の場所だった。お昼に近づくにつれて陽が降り注いで暑いくらいだ。じつに、数時間前までは凍えきってホットココアで暖をとっていたのが嘘みたいに、気温は20度をこえはじめて、日光をさえぎるものはなにもない。芝生のうえに青空、階段の向こうには海、岩を叩く波。強すぎない海風。これより過ごしやすい日は年に二度もないに違いない。しみじみやすむ。

犬吠をはなれたら、海にそってまっすぐな道があって、ポストカードからでてきたみたいな絶景。さながら地中海の景勝地みたいにきらきらしたこの道が銚子ドーバーラインと呼ばれていて、ドライブコースにはうってつけと狭い人気をもっていることはあとから知った。そのドーバーラインは短く走りきって、海辺を離れて内陸にはいっていく。佐倉に向かおうとして。

広域農道にはいる。入口のところに「東総広域農道」とおおきく掲げてあってものすごくわかりやすい。占領時代のベルリンのチェックポイントでもかくやというくらいの重大ごとみたいに農道をアナウンスする大げさなやりかたが気にいった。農道にはいると農道のにおいがする。煙のにおいと獣のにおい。一面のひらけた畑に真っ白な風力発電機がぽつりぽつりとたっているのがとおくにみえていたとおもったとたん、そのほとんど真下をとおるように道が続いて、みあげても視界におさまりきらないおおきな風車のおおきな腕の影が頭のうえを横切っていく。とおくからみると穏やかにみえるのが、時速になおすと走る車よりもずっとはやいのが素朴にわかってしずかに了解したりする。

田んぼを突き抜けておどろくほどまっすぐ伸びるおおらかな道に感動して、おもわず停車してじっくり深呼吸もする。田んぼの景色ならみなれているようで、ぼくの育ったところの景色とはおおいに異なっているようだ。どこまでも平地のようにみえて、はるか向こうに背の低い山がみえるそこのところまで、広い空がぐんと伸びている。雲はすこしもないし、農道のどまんなかにあって、ただまっすぐの道だけがあるほかは、水平線より下には黄金の畑、上にはどこまでも遠い青。この世界はただぼくひとりだけのために存在するとおもわせるくらいに、この世にあることが信じられないほどの美しさがそこにあるすばらしい時間だった。

平地をぐんぐん進んでいくと、遠くにみえた山々、ただしそう険しくはないアップダウンにはいりはじめる。房総半島を根本のところで横断するようなコースだ。旭市、香取市、多古市、成田市というような地名が標識に代わる代わるあらわれる。前後に車はいるけれども、それぞれ速すぎることも遅すぎることもなく、制限速度をすこしだけ超えるくらいの速さでならんで走っている。信号機は10キロも走ってひとつあるかないかというくらいの田舎道をはしって、高速道路ほどの緊張感はないけれども、走ることの爽やかさ、これこそ味わいがたい移動の醍醐味かなと満足があった。

地図アプリに促されてたどり着いたのは大栄インターチェンジだった。佐倉を目指して高速道路を走っていく。成田の手前に工事渋滞があって、いちどピタッと止まってしまった。うずうず、いらいら、としかねないときに、頭のうえをジャンボジェットがゆうゆうと横切っていくのがみえた。はるか高くではなくて、すぐ頭のうえをゆっくりと。それだけで気が休まるおもいもした。

酒々井のパーキングエリアに寄る。朝にどんぶりを食べたきりお昼は食べないまま午後になってしまった。朝六時に出て、夕方は四時には帰ろうと計画してきて、銚子についたときには予定通りだったのだけれど、その計画をかなえるためには銚子をのんきに見物している暇はなかったようだ。とはいえ、悔やむというほどのことでもない。美術館に寄って帰るのを遅らせるのと、美術館をスキップして計画通りに帰るのとを悩んで、帰ることにする。さらに疲労をためてから日没後の高速道路に乗って、三連休をしめくくる大渋滞にのみこまれたらきっと危なそうだとにらんで。酒々井ではお昼ごはんはたべずに、なめらかな牛乳ソフトクリームをひとつなめて糖分補給をした。

首都高に東からエントリするのもはじめてのこと。気づけば湾岸線にいて、辰巳という地名がみえたからあわてて9号深川線に乗り換えてしまったけど、いつもと違って時計回りに走っていたから、もうすこしいってレインボーブリッジをわたるほうがたのしかったなと悔やんだ。悔やみつつもまっすぐ帰るつもりが、気づけばふたたび銀座方面に経路を間違えてしまって、レインボーブリッジをわたりなおして、しかも羽田空港方面に進んでしまった。よっつばかりはあったはずのリカバリ可能な分岐をすべて間違えたようだ。どうしようもなく、羽田で降りて空港から環七に沿って帰る。ひどい渋滞というほどでもないが、農道のすばらしい走り心地をあじわったあとではどうしようもなくおもしろくなくて、その変化をもたらしたのは冒険にほかならなかったことだけがしみじみ後味にのこった。計画通りの時間に帰って、いちにちの走った距離は340キロほどで、ガソリンを入れて帰るほどの余力もなくくたくたになって休んだ。