音楽旅行で高崎にいったのが、音楽よりも観光にみのりのあった話。
二ヶ月前ほどから計画した旅行で、宿もはやくに抑えていた。暑さがひいてバイクを走らせるにはもってこいの気候になるに違いない。そうおもって、まだやったことのない一泊ツーリングをこの機に実現させてみたいとおもって計画をたてていた。しかし三連休の初日にして豪雨にみまわれて、バイク旅行はたち消えになった。高崎が電車でいきやすい街であることはわかっていても、ずぶぬれの新宿駅ホームで満員の埼京線をながめながら、いったいなんのためにこんな不快な場所にぼくは立っているのだろうと切なくなった。高崎線は埼京線よりもましにみえたけれど、それでも池袋、赤羽、浦和、大宮あたりまではひとが蒸れてしかも圧し合っているのを貧しくおもった。変なにおいもした。
15時ころに高崎駅についた。駅ビルの定食屋さんでサバ味噌煮をたべた。宿まで歩くのも、蒸したバスを待って運ばれるのも、おなじくらいたいへんなようにおもわれて、歩くことにする。チェックインをして、街の手書きの地図をもらって、すぐにコンサートに出かける。コンサートが終わったら雨ははけていて、もう降り直す予報もなくなっていた。
夕飯にゲストハウスのロビーでおそわった、おでんと干物をだす居酒屋「おちょこ」にいった。カウンターに七席だけある小さなお店だった。駅からすこし離れて静かな場所にあるから、ひとりで飛び込んではいることができた。日本酒を二合、昆布と海老で工夫されてわさびまでが新鮮ないたわさ、あたたかいおでん、ほくほくのとろサバの焼き物。ぼくのほかには男女連れが二組おられた。
宿にもどって、ロビーを兼ねてお酒をだすちいさなお店で、もうすこしすごした。町の自営業者タイプの壮年男性の三人組がいて、町内会の運営のようなことを計画して飲んでいた。紅葉をみるなら伊香保のロープウェイに乗るといいとか、秦名湖もいいとか、高崎市内で自然見物をしたいなら観音山にのぼるといいなどとおそわる。三人組が去ったあとも、店主さんと常連さんひとりがかまってくれるのに相伴して、一杯だけというつもりだったのが夜更けまで過ごさせてもらった。これは「灯り屋」というゲストハウス兼カフェ兼バーというお店。海外旅行をしてゲストハウスを転々としていた店主さんが十年前にみずから開業して、市内にただ一件のゲストハウスだから、街のひとにもよく知られていて、県外と海外からのお客さんも絶えないようだ。二段ベッドの下にもぐって深夜一時に就寝。
朝は七時に朝日を感じて起きる。お酒をのんだぶん眠りが浅かったのと、尿意がするのとで目をさまさずにいられなくて、まだすこし酔いがのこって身体の疲れている感覚をごまかして、シャワーをあびる。雨のあとのみごとな秋晴れで、水にあらわれた空気のすがすがしいこと。
ゆうべおそわったとおりに観音山にのぼることにして、循環バスが来るまでの時間を駅のミスドで朝ごはんにしながら待つ。バスは三十分ほどかけて、川をわたったあと山道をのぼっていく。観音山公園という停留所でおりたのはわずかで、残りの乗客はさらに上へと向かった。公園といってもまだたいしてひとはいないようだ。明るい苔色のオフロードバイクで乗り付けているひとがいて、ああこんなにいい天気ならぼくも自分のバイクをもってきたかったと願った。ひらけた芝生が露でぬれて光っている。コバルトの羽のちょうちょがのんきにやすんでいるのもみえる。公園から山登りの道にはいると、天蓋が樹木におおわれた階段はまだ湿ってよく滑る。ふとももをパンパンにしながら登りきったら、おみやげやさんの列もまだ開店準備の時間だ。
ふもとの町から、また下の公園からみあげたときに、おおきな観音の頭が森からニョキッと生えたようにみえていた。その方向にうろうろと進んだ。いきなり観音様の足元に出た。この白衣大観音は高崎のシンボルのひとつだという。遠くからみると特撮マスコットのようにみえたものが、間近で見上げるとおそろしい威厳があって、敬虔なまなざしで見つめずにはいられなくなるのがふしぎだ。この観音像は内部にはいって階段でのぼることもできて、ちょうど大阪の太陽の塔を外からながめたあと内にもはいって見物しながらのぼるように見物しながらのぼった。観音の肩からのぞいて景色をみた。
バスの待ち時間を調整して山道あるきをした。清らかに虫のこえがりんりんとする吊橋を往来した。はるかしたにせせらぎの音もきこえた。洞窟観音とある名所の横をとおって、でもおなかがすいたのでバスに乗ることを優先して通り過ぎるだけにした。山から駅前にもどった。駅前のそばやさん「きのえね」で天ざるの特盛をたべた。
帰りの電車。湘南新宿ラインの小田原行きがちょうどある。乗って、車窓からの日差しがあたたかくて、すっかり眠った。でもさいごまで寝て過ごすわけにはいかなかった。熊谷あたりから混みはじめた。大宮から先は車両がひどく揺れて、座っていても左右からめりめりと押され圧されて、乗り物酔いもまざってひどく苦しかった。往路でになったわびしい気持ちが帰路にもあった。このような都会生活を便利とよぶのはそれ自体がルサンチマンではないかと呪わずにいるのはむずかしかった。