秋の音楽祭というもよおしでNHKホールにいった。ぼくは一生懸命になって音楽をきいて、それはずいぶんひさしぶりのこととおもわれて、爽やかだった。

デュトワが何年ぶりにN響を率いるという誘い文句だった。モントリオールのオーケストラを率いて、フランスものを振らせれば絶品というのをどこかで教わって、このひとが指揮するいくつかの録音をきいたりもしていた。NHKホールをはいって左のあたりに現職の指揮者たちの肖像がならんだセクションがあって、そこでデュトワの名前と顔はいつもみていた。それが何年も協働していなかったというのはなんとも不思議なことだ。御年88歳とのこと。

ラヴェル「マ・メール・ロワ」とラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」が前半、ストラヴィンスキー「春の祭典」が後半に配されたプログラムだ。デュトワは小走りにこそならないが飄々というように歩いて、ひょっこりと指揮台にたった。安くて遠い席にいたものだから、指揮台でのうごきはあまりみえないで、前半はいくぶんぼんやりとながめた。

頭のなかにざわめきがあって、それに耳を貸さないようにと考えるといよいよ意識を支配されるから、つとめて注意をはらわずに、ただそこにいるだけのものとなった。このごろはせっかく静かな空間をおとずれても、身体のなかにある騒音がひどくて、ぼくは失調している。もったいないことだ。

休憩のあとの「春の祭典」は、その陰気さをふきとばす力をもっているようすだった。オーケストラはいつになく巨大で、ステージの端から端まで楽器がうめつくした。ティンパニさえ二台あった。そして提示される律動の野蛮さ、野蛮さ。緊張感がみなぎって、手をかたく握らずにはおれず、息を飲むようにして身体ぜんぶを耳にした。およそ分析的になることはできないが、こう一生懸命になって音楽をきけたのはひさしぶりだった。うれしいことだとおもった。爽やかな後味だった。