美術館と植物園と研究施設がひとまとまりになったテーマパーク、という説明がしっくりくる不思議なハンティントン・ライブラリにあそびにいった。

月にいちどかなにかの、無料で入場できる日だったため。そうでなければ39ドルくらい支払うことになる。新宿御苑とか昭和記念公園はどれだけ良心的に経営されていることだろうとかえりみてハッとするくらいのチケット料金だ。とはいえ、せっかく無料でいれてもらえたのだから、チケット料金により見合っているのはどちらと打算するのはやめよう。

植物園は中国式ガーデン、日本式ガーデン、熱帯雨林エリア、ヤシの木の広場、バラ園、多肉植物のガーデンなど、ひろびろした敷地のなかに疎に区画されてある。ぼんやりと歩いているうちにジャングルに差し掛かっていちどに蒸したり、数メートルから数十メートルまで高低に差のあるヤシの木がズシンズシンとならんでスケールのおおきい庭があったり、まったく植物というものの奇妙なおもしろさをみせられた。

美術館はヨーロッパ館とアメリカ館に大別されていて、アメリカ館だけをみた。有名作家の有名作もいくつかあったようだが、無名のものこそ多く展示されているのがよかった。たとえば、十九世紀のふつうの子どもたちの、こけし絵のような肖像画のコレクションがある。すべての子どもが健康に成人することのできなかった時代に、すこしばかり裕福な無名市民の家族にあって、失われた子どもたちがみなそうあるべきだったような元気な姿を描きとめて弔うことがあった。その仕事をする、いわば死んだ子どものための肖像画家という職業はそれだけで成り立つものでないから、絵描きたちは日用品にデザイン装飾をほどこして売る仕事もしていた。たとえば煙草入れ、書類ケース、タンス、宝石箱などに絵を描いてなりわいとした。そういう村がかつてあったということを知るのは、遠くにあるものを近くにみる心地がした。

おみやげ売り場で、いなたい野球帽を買った。野鳥観察の手引きと、敷地で採れたオレンジのマーマレードも買った。連れ出してくれた同伴者は、仕事でライブラリを使うことがあって、一般訪問者にはもてない社員証みたいなカードをもっていて、会計に割引をきかせてくれた。青いカードは割引があるけど、白いカードは割引がないとか、昔は白いカードでも割引ができたとか、やっぱりほんとうは割引はできないんだけどまあいいや、いちど割り引いちゃったのでそのままにしましょう、みたいなおおらかな取り引きがよかった。

郊外に向かうフリーウェイは蛇行している。高速道路がはじめにひかれたときに、自家用車でのんびりピクニックに向かわせるような市民生活を構想して設計されたからだとおそわった。現代の都会生活のための交通にしては、山のないところに峠道をひいたみたいな、ちょっと無駄なほどカーブがおおい道のようだ。空港から市内に向かうフリーウェイがどこまでもまっすぐ伸びているようにみえて興奮したものだったが、川にそって走るカーブだらけの高速道路というのもおもしろいものだ。タクシーがサクサク走った往路ではこの道を自分でも走ってみたいとおもったものだが、帰路にあっては疲労のピークにひどい渋滞が重なって閉口した。