N響の新シーズンの開幕プログラムで、ブルックナーの交響曲第8番を聴いた。初稿というのは、選ばれるのは珍しいエディションらしい。
一本のみからなるプログラム。指揮とオーケストラの集中力は高く、きびきびと展開した印象だった。それにもかかわらず、ぼく自身のコンディションがよくなくて、捉えそこねた感覚が否めない。
第三楽章で、静かに広がる曲想かとおもいきや、にわかに活気づいてシンバルの連打がおおいに繰り返されるところ。第四楽章で、金管楽器の分厚い呼吸が音の壁のようにせまってくるところ。どちらも派手な聴きどころが印象にのこった。
ひとつひとつのモチーフはねばって残る。長いつぶやきをひとつ苦吟したあと、不連続に新しいつぶやきをはじめる。それを繰り返す。こうやって進むしかない音の流れは、解体へと向かう断片化のはじまりに聞こえる。表現主義的なむずかしさがブルックナーにはあり、集中力を要するだろうという見立てはこの日も外れなかった。
演奏が悪かったという気はさらさらないときに、もうすこしよく聴くことができたらという後味をもってしまうあたり、捉えそこねたなという苦々しさがある。