ル・シネマ渋谷宮下でファスビンダー傑作選と銘打って三本立て『エフィ・ブリースト』『自由の暴力』『リリー・マルレーン』を上映しているのを観た
『自由の暴力』がいちばん気に入って、おもわず個別に日記を書いた1。残りの二本はすこし印象に劣ったけれども、ひどく悪い映画ではなかった。
『エフィ・ブリースト』は19世紀型の結婚の失敗を見初められた女性の立場から描く。
若くありのままのエフィは将来有望な髭ダルマの紳士インシュテッテンに見初められ妻となる。夫が官吏の仕事で配属された田舎町ケッセンの屋敷にいてただならない気配を感じる。インシュテッテンは、この町で死んだ中国人の亡霊がとりついていると吹き込む。エフィは信じてゲンナリする。夫はそれをみて声を荒げる。そうもたやすく神経衰弱になられては官僚としての名誉に傷がつく!
エフィは妊娠する。墓場でロスヴィーダに出会う。彼女は失業していた。カトリックは勤務中に教会にいくから働かせられないから誰も仕事を与えなかった。彼女は本当のことを懺悔したことはなく、教会にも通っていないと話す。エフィはロスヴィーダを雇って乳母にする。女の子がうまれてがっかりする。
クランパス少将がケッセンにあらわれる。エフィとインシュテッテンと浜辺に遠足する。やがてインシュテッテン抜きに逢瀬する。インシュテッテンはクランパスを浮気者と評する。クランパスはインシュテッテンを「教育者」と評する。エフィは夫が「教育」してわが身を操っていることを悟り覚えはじめる。
もとより夫はクランパスを軽蔑している。それでいて、おいしいお茶を飲むおだやかな午後にこんなことをいう。「妙な夢をみた。クランパスとお前がそろって沼に沈んでいく夢なんだ。」エフィは夫と友人の間が悪いのは容赦できても、小舅のように陰気な皮肉を述べるこの男が不愉快でならない。そのインシュテッテンが栄転にあずかった。ふたりはケッセンを離れる。ベルリンに落ち着く。
やがてケッセン時代の、クランパスからエフィへの親密な手紙をインシュテッテンは見つける。不倫だ! 友人に決闘の仲介を依頼して、こうなったからには名誉、名誉、名誉の問題だ! と口から泡をとばす。そして決闘の名のもとにクランパスを射殺する。高級官僚が妻をたぶらかした少将を決闘で殺人したと新聞に載る。しかし罪はインシュテッテンに向かわず、かえってすべての悪意はエフィに向けられた。エフィは娘を奪われ離縁され、両親からも見放される。
物心ついた娘アニーとの数年越しの面会。アニーが決まって他人行儀に「はい、お父様のお許しがあれば」とオウムのように述べる背後に、エフィは「教育者」の姿をみる。ああ、名誉と立身のために無実の者を殺害して、その罪を妻にかぶせて、娘を調教して飽き足らないこの男。そばにいればきっと立派な紳士なのだとおもって無力さを覚えさせたこの男の、なんとつまらなく小さなことだろう! 神経衰弱をいっそう悪くしたエフィは家族に看取られて若死にする。
というような話。陰気で疲れる映画だったが、エフィが夫の抑圧に気づいて、また娘が同じ抑圧によって機械人形のように馴致されているのをみて、愚かしさに涙するところの感情的昂ぶりの伝えかたはすばらしいこと極まりなかった。ジメジメした描きかたはこの瞬間をひたすら準備して、解放はたしかに了解されたとおもった。
『リリー・マルレーン』は第二次大戦中のひとつの歌謡曲をめぐる名誉の興亡と愛情のありさまを描く。
ナチスの不気味な存在感が強まっていた時代、スイスの酒場で歌って歌手修行をするヴィリーは、音楽家志望のロバートと恋をしている。ヴィリーにはたのむものはないいっぽうで、ロバートの背後にはユダヤ人をドイツからスイスに逃がすプログラムで有力者の座を占める父が後ろ盾についていた。彼はロバートがドイツ女と付き合っていることを不安視して、ヴィリーをスイスに再入国させないように計らう。ロバートは憤慨する。
ドイツ国内で、ヴィリーはナチス高官のヘンケルに支援されて「リリー・マルレーン」のレコーディングをする。そのレコードが戦場のラジオ放送に乗って、彼女はスターになる。地位と名誉を手に入れる。ロバートはユダヤ人の名義を隠してベルリンに潜入して、ヴィリーと一夜だけ再会する。そして愛し合う。
ロバートがゲシュタポに捕まる。彼が拷問を受けているころ、ヴィリーはスターの地位を使ってポーランドの強制収容所の秘密情報を持ち出す。すべてはロバートのためにと。しかしヘンケルに疑われ、彼との不和によってヴィリーの地位はゆらいだ。「リリー・マルレーン」は戦意高揚にふさわしくない音楽とみなされて、彼女のスター生活は終わった。ロバートは家族の支援で拷問を解かれて、スイスにもどり、父のとりつぎでユダヤの女と結婚した。
戦後、ヴィリーはスイスにもどる。懐かしい恋人が指揮台にたつ姿をみて目を輝かせる。しかしカーテンコールのあいまに彼の傍らに、妻がよりそって立つ姿をみて、黙って去る。
という話。ハイライトは、ヴィリーとロバートの隠れたつながりを暴こうとするナチが、ふたりを彼らの監視下で引き合わせて、しかしふたりはその企みに気づいているから、タバコに火をつけてあげる以上の親密さをみせない。巨大なリスクを前にして必要な演技だったけれども、このときに抱きしめあわなかったことの静かな悲しさが、幸せなはずの戦後に思い出されるというのが切ない。一途な愛は実らなくて、ひとことの感謝さえも分け合うことができないことは悲しい。