文京シビックホールにクラシックのコンサートを聴きにいった。夜クラシックというシリーズで、そのボリューム33とある。
この回はチェロ四重奏のもよおし。横坂源さん、上野通明さん、水野優也さん、柴田花音さん。年長の横坂さんがいて、上野さんはヨーロッパの留学を終えたばかり。水野さんはザルツブルクのアカデミーで三年目を迎え、柴田さんはシカゴのノースウェスタン大学で二年目を迎える、とのことだ。音楽家のキャリアがどういうものかさほど詳しくないなりに、聴こうとおもってすぐ聴けるプレイヤーの集まりではないようす。
エリントンとピアソラがよかった。エリントンはデューク・エリントン。トーマス=ミフネというひとが編曲したとプログラムに書いてある。ピアソラの編曲者は小林幸太郎というひと。それからフィッツェンハーゲンの、これはチェロアンサンブルのためにかかれた、コンサート・ワルツという作品もよかった。
ピアソラのタンゴはどこか聖の性質を担っているような気がした。チェロのボディを叩いてダンスのリズムを強調すると、すこし逸脱的なムードが立ち上がるけど、土台には確固たる揺るぎなさがあるように聞こえた。正統な意味ですばらしい演奏だった。
デューク・エリントンは弦楽四重奏に移し替えてもはっきりとキャンプなのがふしぎだ。猥雑とかメロドラマチックとかいうと退けるための言説になるけれど、その俗っぽくて安い感傷こそただちに、逆説の聖性をになっていた。はじめて聴くジャズの解釈で、ぼくにとってあたらしく響いた。受け取って消化しきれていないところ多いけれど、ショッキングな演奏。
バッハ、ドビュッシー、ガーシュウィン、ワグナーなどをチェロのアンサンブルで聴いて趣があった。同時に鳴る音の数が4つしかないから、耳の感覚は鋭くするのだけれど、耳といっしょに頭もはつらつとしてしまって、思考はあちこちに飛んだ。飛んだあとにもういちど引きもどされるとそれは名演なのだけれど、飛んだまま過ぎてしまうこともあった。エリントンとピアソラには強く引きつけられた。そのことになにかの個人的意味はありそうだけれど、それがなにかはわかっていない。