竹橋の国立近代美術館でコレクション展をみた。足をとめてメモをとった印象を点々とうつす。


藤田嗣治「自画像」
https://www.momat.go.jp/collection/o00826

なんだかいやな感じのする絵。うわべは落ち着いてみせて、よくみると痛々しい騒々しさ。

ありのままの外見でもない。かといって内心に切り込んでいくのでもない。こぎれいにおしゃれした自己演出が稚くつまらなくみえた。そのみっつにわかれた妙な口ひげはおしゃれなんすか、なあおっさん!

しかし描線は細くパリッとしている。がちゃがちゃと書き込まれていて、騒然としてあれ醜悪とまでいかない。服のひだなんてぐちゃぐちゃで、陰影もまだらを適当に敷き詰めたみたい。でもそれで画面が成立するのがふしぎだ。


北脇昇「空の訣別」
https://www.momat.go.jp/collection/o00233

煙、さんご、そこに結ばれたハンカチ、カエデの種。墜落する種、のぼる煙、命との訣別。

きっと戦争に絡めた主題だろうとおもわされて、それ以外にみえようがなくなってしまうから、画面にあるものの非現実感はそれほど苦く飲み込みづらいものでもない。わかりやすいといえばそうなのかもしれない。もっとわかりにくいほうがものを深く考えさせるかもしれない。

海のように広くもみえて、種のように小さくもみえるものが、賑わしくない画面のうえに静かにおさまっている落ち着きは好ましい。


パウル・クレー「花ひらく木をめぐる抽象」
https://www.momat.go.jp/collection/o01020

40cm 四方ほどのちいさな画面。あんまり厚塗りされていない、さっぱりしている。色の配置がモザイク様になっている。でも幾何学様ではない。中央も左に寄っているし。

白く細かい中央から黒くあらい周縁へ、動物的なゆらぎ、泡立ち、波。これは模造して家に飾ると気持ちがよさそうだ。


アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー「救世主の顔」
https://www.momat.go.jp/collection/o01010

ちいさな画面いっぱいに女の顔。卵みたいに真っ青な地のうえに少女漫画の手で線がおかれていく。紫の鼻梁、唇はライムと黄、目の下にオレンジ。

即興的におかれた色が顔を生成している。そのプロセスの粋をみせられているようだ。顔を描こうとして色をおくのとは逆に。色をおくと顔ができる。軽さがよい。葛藤がないのがよい。


長谷川利行「タンク街道」
https://www.momat.go.jp/collection/o01211

即興芸術家のいきおいある筆。ここでも色を敷き詰めるとそれがおのずと絵になる。絵を描くのではない、形をおくのだ色を置くのだ。

だいたいの線を決めてほどほどに描き込んだらはいおしまい、といういきおいがいい。線で捉えて箱庭を築くのではなくて、空間の嵐を捉えてはげしく写すのがいい。

「タンク街道」はウェブコレクションに公開されていないようで「カフェ・パウリスタ」のリンクを貼った。


伊東深水「鏑木清方先生寿像」
https://www.momat.go.jp/collection/j00553

いい絵だ。きれいな着物。峻厳ならず、放埒にもあらず、朴たるありさま。


石内都「連夜の街」連作
https://www.momat.go.jp/collection/ph0412

赤線地帯とは GHQ の公娼廃止 (1946) から売春防止法施行 (1956) のあいだに売春が黙認された地域。石内都さんはそれら地域の寂れたたたずまいを撮影した。78年から80年にかけて。横須賀安浦と名古屋の中村遊廓のショットがみせられている。ひとのいない空間の底深さ。


朝からいってのろのろ見回ったあと、赤坂パレスサイドビルで中華を食べた。ちいさい五目焼きそばのランチを食べた。初老、ひとり、という客がおおくみえた。