迎え盆の前日にひとり仙台で過ごした。ただなんとなくのひとり旅行だった。
台風が太平洋側から向かってきていた。東北新幹線の遅延と運休に注意といわれていたけれど、なにもなく動いて仙台までまっすぐ着いた。仙台駅の新幹線ホームを降りたところにずんだもちの売店があって思わず足を止めたころ、岩手の大船渡に台風が直接上陸したらしいとあとで知った。仙台市も強風圏内にすっぽり覆われていたのだけれど、たいした風はなく小雨がぱらついているだけだった。
小雨とはいってもいつ大崩れしてもおかしくない空模様だった。駅前のホテルを予約していたから、駅から遠く離れすぎて帰れなくなったら面倒だ。という打算で、駅から歩いていけるところをぼんやりほっつき歩いた。
一番街にはいって、ほそやのサンドでハンバーガーを食べた。アーケードをはなれて、せんだいメディアテークにいってみた。国境なき医師団がパネル展示をしていた。上の階には市立図書館がはいっていて、そこでのんびり過ごした。あたらしくてきれいな図書館だった。いろんなベンチがあちこちにあって自由に使われている雰囲気がよかった。定禅寺のジャズフェスティバルが来月に控えているから、ジャズの選書がおすすめコーナーにならんでいた。オーディオビジュアル資料も意外とレアそうなタイトルがみえたりした。この図書館は日常使いできたら便利だろうなあと素朴におもった。一番街にもどって、さん竹で天ざるを食べた。
夜、あんまりおなかは空かないけれど、せっかく来たのになにも食べないのも無粋とおもう。でもそうやってうろついてもとうとうこれが食べたいとおもえるものは見つからなくて、すっかり悲しくなってしまった。はいりたいとおもったお店は予約がないとはいれなくて、はいれるお店ははいりたいお店ではないというジレンマを担ってしまった。きっとファミレスで適当にすませられていたらそれなりにハッピーだった気がするのだけれど、旅行先でファミレスにはいるなんてけしからんという奇妙なマナーを自分に課してしまって、寄る辺なくなってしまっていた。最後には大衆居酒屋に落ち着いてほどほどにおいしい焼き物を食べてよしとした。
しばらくなんとなく落ち込んでしまった。コンビニにちょっと出かけるみたいな身なりで出かけてきて、むやみに歩き回るのはたのしいけれど、年齢不相応の振る舞いなのかもなあ。野球帽かぶって、短パンで、ビニール傘もってうろついて、なにかおいしいものを食べたいというまえに身なりを整えないと、とか。でも、きれいな服きてタクシー移動したいときもあるけど、汚れてもいい服で足をつかって動きたいときもある。どちらかひとつのスタイルを選んでそれにしがみつかないといけないのは本当なのかな。などと頭でっかちな考えに取り憑かれてしまって、無用に疲れてしまった。
おなかがすこしふくれたらホテルに早めに帰って、持ってきていたエンピツで絵を描いて過ごした。それで考えすぎの頭がクールダウンできた。頭を動かすよりも手を動かす。身体の使いかたを意識する。それが心の健康には大事な気がした。それは禅の先駆者たちが伝えたことそのものにほかならない気もする。