高崎に一泊二日の旅行にいった。音楽を聴くのが目的で、そのほかにはなにもなかった。カート・ローゼンウィンケルのコンサートの話はひとつ前に書いた。

新宿から湘南新宿ラインで北に向かう。籠原で高崎線に乗り継ぎ。気づけばドアを開けしめするためにボタンを押す土地にきていた。ドアが開くたび熱風が吹き込むのがいやらしいとおもう季節にあって、なんて合理的な仕組みだろうとみえた。

昼過ぎに高崎駅について、涼しい駅ビルでお昼にする。前にはいったパスタ専科「はらっぱ」は行列につき、冷たいものを求めてそば屋にはいる。薬味のたっぷりした涼しそうなメニューを横目に、せっかく遠出したわけだしと奮発してうな重にした。まったく正しい判断だった。この夏の食事がいったいどれだけ、ない食欲をごまかして栄養補給のために行われる乾燥した儀式だったかと考えずにはいられなかった。豊かな味のあるものをガツガツと食べる嬉しさを久しぶりに喜んだ。おおげさにして目に涙があった。

目的ももたずに駅のまわりをうろうろ。おじさんたちがビラを配っている。高校野球の速報、健大高崎が県大会に優勝。なんとなく強豪校のイメージがあったが、それでも地元校が甲子園に行くのが格別のニュースみたい。自分の地域から甲子園出場校があらわれたことはないものだから、なんとなくまぶしくみえた。

高崎オーパのフロアマップをみて、カフェの印があるところにふらふらと向かった。すこし休もうと。が、向かった先には壁と窓だけがあるだけだった。見間違えたかとおもいきや、隣のアパレル店から売り子さんが声をかけてよこした。「コーヒーとカフェラテなら出しますよ」「お、それではぜひ」アパレルショップがたわむれめいてカフェをやりたかった、とはいえ専属のスタッフはいれられなかった。そんなふうにみえた。小さくスタートしてたのしそうにやっているのは感じがいい。女性向けの洋服のディスプレイにはさまれて、ちょっぴり南欧風のベンチに座らされて、チューチューとアイスコーヒーをすすっているのはわれながら滑稽で気分がよかった。

絶メシリスト1という観光キャンペーンを市でやっているようだ。駅の構内で広告をみた。泊まったホテルのそばに焼きまんじゅう屋があるというのでいってみた。まったく焼きまんじゅうというものがなんなのかもわからずに。しかしなかなかいい味だった。こぶりの酒蒸しまんじゅうをぐいっと串に通して焼き目をつけて、砂糖醤油のたれにダバっと浸して食べる。もう蒸したのやら焼いたのやら浸したのやら、どうしたいのかもわからない。しかしそれがいい。まんじゅうをあつあつにして、あつあつの甘いソースをたっぷり浸してたべる。酒蒸しまんじゅうがベースだから、それはもうおそろしいほどジュクジュクに浸るし、それを見越してソースをダバダバかけてよこす。なんて大雑把ですばらしい料理なんだ。

パスタ専科「はらっぱ」に再チャレンジして食事。六年前くらいに、大学の後輩をたずねて高崎にきたときに案内してもらった。それ以来になる。が、これはちょっと蛇足だった。まずスープたっぷりのあつあつパスタを食べるには季節が悪すぎた。駅ビルで行列をなしていたくらいだから夏でもいけるんだろうとなぜか盲信してしまっていたけれど、これは明らかに冬の食べ物だ。たっぷりの量を出してくれる良心は粋だけれども、汗まみれになって味ももうどうにもわからなくなった状態で、とはいえ残すわけにもいなかいと食べ続けるのは、貧しいおもいにさせられた。まったく悪くないお店なのだけれど、季節だけは選んでおとずれるべきだった。フォークナーの『八月の光』の、ジョー・クリスマスが10セントのパイを食べてどうしようもないつらさを感じるところをまったく不適切におもいだした。

湘南新宿ラインで帰京。新宿駅で降りて乗り継ぐために、はじめてみる長い階段を歩いた。上ったところで、どうして頼んでいない土産売り場に放り込まれて、乗りたい電車に乗るために通り抜けた先でホームの端から熱波にさらされて百メートル歩かされて、乗り込んだ電車には寒いくらいの冷気とふたたび頼んでいない商材の広告が満ちている。高崎ののどかさに比べて、なんてデカダンな街だろうとおもわずにはいられない。そういう街の住人であることをぼくは残念におもう。そういう街にならないようになにかできることがあったともおもえないのだけれど。