早稲田松竹でチャップリンの特集がかかった。一週間のうちに全六本にこつこつ通った。

後期のトーキーにこそ心ひかれた。『殺人狂時代』でおそろしいヴィランを演じながら喜劇のソースをほどよくまぜた作劇には初老の芸術家の円熟味がある。『ライムライト』で過去の栄光が重荷となって足を引くさまには老いの諦念がある。若い女性が老人に忠愛を尽くすプロットに違和感はないでもないが、制度の奴隷であることを拒んで、喜劇のなかに人間の尊厳を刻もうとしたことはよくわかる気がする。それがいつももろくはかない定めであるという哀感もまた尊厳の一側面とみえる。悲哀のないところに人間はない。

身体をおおきく使って動かして誇張してみせるみせかたが肉体運動の単純さをみせて爽やかであることと、言葉を使ってものごとを写しとるときに不思議といりくんだレトリックを多用して分析的であることは、対比的でいて同根のものとみえる。分析する目に技術があり、それをことばで指し示す能力がある。複雑なことを簡単に言い当てる詩人のひらめきが肉体にやどっている。喜劇が誇張した笑顔の道化に張り合って『街の灯』の最後のショットの複雑な狼狽は雄弁である。