新文芸坐で今村昌平監督の特集上映がかかっているのを観に行った。湿った暑さのなか池袋まで自転車を漕いだ。

まず『黒い雨』を夕方にみる。原爆投下の日に、ちょうど広島に向かっていたヤスコ(田中好子)は、乗り合い船のうえで冷たい黒い雨を浴びる。死の蔓延する広島の街を叔父(北村和夫)と叔母(市原悦子)とともに抜ける。原爆を生き延びて、彼女は叔父夫妻のもとで縁談を待つが、原爆病を疑われていい話は消えていく。隣家には石仏を掘る青年(石田圭祐)がいて、あらゆるエンジン音は敵襲に聞こえて心を乱している。叔父は被爆した同輩たちと釣りをして休養していると穀潰しとほのめかされてなじられる。

戦争の激しい暴力の描き方は冒頭のうちにすませて、ドラマはその戦争の長い余波をねっとりと描く。ヤスコの身体の異変は、おしりのできものを覆うおおきなガーゼに薬品が真っ黒いシミをつくっていることでほのめかされて、やがて入浴をのぞき見させてショッキングな、しかし静かな大事件として映される。武満徹の劇伴の弦楽が各楽器の最低音から最高音まで6音くらいで駆け上るのがよかった。ただひとり残された叔父が、山間をみつめて虹よかかれと祈る無力さが余韻をひいた。

続いて『楢山節考』を。ニューウェーブな劇伴に続いて、雪に閉ざされた農村が映る。深い深い雪だ。若い男ふたりが飛び出して、雪の壁にむかっていそいそと小便をする。

蛇がネズミを食う。ネズミが蛇を食う。鷹がにらみつける。蛙が二匹かさなりあう。蛇が二匹からみ合う。ひとの男女がまぐわう。娘が生まれれば売れる。老人を神のいる山へ運んで捨てる。犬を犯す。丈夫な歯を折る。芋を盗んで壁に隠す。盗人を生きたまま埋めて一家根絶やしにする。口を減らしたそばから子供が生まれる。セックスし放題の村。セックスに憧れるもう若くない次男坊。

威厳のある山々に囲まれたロケーションに村があって、あるものだけでなんとか暮らしているさまがみえる。次から次に子供が生まれてみな貧しい。若さの向かう先はセックスだけで、また子供が増える。そうやって何百何千と巡ったひとびとの姿に、どうしてか閉塞感はみられない。先祖のおぼしめしのもとで悪いことはなにひとつ起こらないという信仰がみえる。救いのないことに心を閉ざさないことがむやみに明るい、すぐれた映画。

帰り道は湿り気は変わらなくも風をあびると涼しく軽快に自転車を漕いだ。運動する腰に張りがあって、めずらしいことだ。