友達の結婚式に招かれて椿山荘にいった。

麻布テーラーでスーツを仕立てたのはこの日のためだった。快晴。江戸川橋のあたりの公園から階段をのぼって、丘のうえの椿山荘にいった。小学校で運動会をやってた。こいのぼりが空に飛んでた。季節ははずれてるけど。

たのしい式でした。二次会まで公式のパーティがあって、ふたりの勤務先がそれぞれ東京のおおきな会社であることを反映して、会社の威信をかけた悪ふざけのような雰囲気になって、それを外野からみているだけの立場にこそなれ、おもしろかったです。腕相撲大会があって、一気飲み大会があって、主役ふたりはもみくちゃのくたくたになっていそうだったけど、最後までたのしそうにしていた。お酒を飲むことが仕事の一部だっていうカルチャーがすこしだけかいまみえておもしろかった。いっぽうで披露宴にはこなかった何人かの友達とか、その友達の友達の変なひとたちに会ってまっとうにたのしくすごしたのもたのしかった。

披露宴の受付役をやった。ウェイティングドリンクといって飲ませてもらったノンアルコールのストロベリーフィズが、底にストロベリーのシロップがゴッと沈んで甘ったるい固まりになっていて、度を越した甘さですっかり目が覚めた。これはうまかった。写真もとってもらった。

挙式のとき。キリスト教式の挙式ではなくて、後見人みたいな白人のおじさんとかは出てこないで、ふたりだけが立つステージをみんなで見守った。おじさんの代わりに式場のスタッフがエムシーをやっていたのだけれど、職業柄なのかどうか、すこし饒舌が行き過ぎているきらいもあって、指輪の交換をうながすときに交換儀礼の意義を熱く語ろうとして「この誓いの儀式によって交換した指輪は永遠に人骨と一体化いたします」と言ったように聞こえてたのしかったのだけど、式のあとで友達にたしかめたら「そんなこといってたかしらねえ」みたいにあしらわれた。もしかして多幸感によって幻惑されたのはぼくひとりだったかも。

10年のともだちの新郎は、相手のことをとにかくかわいいかわいいと自慢し続けていて、みんながそれをほほえましい様子とみまもって祝福するのは豊かな時間だった。涙もまた湿っぽさよりもむしろ喜劇の味付けのようにはたらいていて、終始なごやかでドカ笑いが絶えなかった。結婚式というものじたいがすこし古いならわしであるとして、この古くささこそたまらないんだ、みたいな、すぐれた宴会だった。

二次会がおひらきになったあと、庭にでてホタルをみた。文京区にホタルなんかいるのかよ、といいながらでて、ほんとうにいるのをみて、うわあ、とちいさくあがる声をいくつもきいた。デジタルカメラでうまく写せない光をみるのはぜいたくなもの。最後までいい思い出でした。