おりおりの繊細な心の機微をまるでシューベルト自身が語っているように書かれていて没入させる本。ただし不幸にしかなりえない結末を読むのは背徳の恥ずかしさも残す。
自由でありたいのに不幸でしかあられないジレンマをかこつナイーブな男性の話である。もっとも、自由でありたいというのは建前でしかないようでもある。楽神のために殉教する覚悟をかためて幸福を放り投げたのだから。
少年時代よりシューベルトは音楽に熱中した。少年合唱団の訓練でベートーヴェンの交響曲第二番をはじめてバイオリンで弾いたときに雷に打たれた。バリトン歌手フォーゲルのアリアを天井桟敷ではじめて聴いたときにも雷に打たれた。このまぶしい未成年の輝きは、しかし短い。
変声期を過ぎて成人となってからは目も当てられない下降の人生だ。仕事はない。表舞台にでて行きたがらない。そのくせ自分の不幸をかこつ。甲斐性なし。純潔ぶっておいて梅毒をもらう。病気を隠して手遅れになる。友人にめぐまれているのをいいことに、世間知らずを直そうともせず開き直っている。そのくせ押してはいけないボタンを押して彼らを失望させることにかけては天下一品だ。
伝記はこのひとの生涯を悲劇として演出するけれど、残された音楽を引き受けるために悲劇はかならずしも必要でない。
児童書のカテゴリにある書籍ながら、寝るのを惜しんで読ませるおもしろさがある。もっとも、そのおもしろさはそこから前向きな教訓を引き出せる趣向のものではなさそうだ。ひとの不幸をのぞき見する快楽なり、おもいきった冒険心が失敗をまねくことを教える類の伝記である。家父長制に逆らうもの罰されるべしという教訓をつたえる故事である。そのような読書はどこかこちらを恥ずかしい思いにもさせる。