嘘つきのバウドリーノが宮廷と戦場、生まれ故郷の村からオリエントの幻想世界の旅を饒舌に語る小説。

岩波文庫の上下巻に分かれたエディションで読みました。

バウドリーノは主人公の名。第4回十字軍がコンスタンティノープルを破壊しつつあるなかにやってきて歴史家ニケタスを救出すると、彼がどのように神聖ローマ皇帝フリードリヒの養子となって宮廷の恋愛と政治にはまり、パリの大学で聖俗を学び、生まれ故郷の名も無い土地が新しい町として誕生するのを見、かわいい女性と結ばれ死別したかを滔々と話します。ここまでが上巻。政治と信仰をめぐる史実や有名な伝承を踏まえた物語になっています。皇帝と教皇がどうしてどのように争っているのかを、宮廷のことば、教会のことば、町人のことばで説くのが魅力的なセクションです。

皇帝の死に向かう悲劇を転換点にして、下巻では魔法や幻の獣の世界を旅するバウドリーノたちの冒険譚にトーンが一転します。松明がなにも照らさない不思議な暗闇のアブハジアの森。水の代わりに岩が湧いて流れる危険なサンバティオン川。異形の形態に異端の信仰を宿す神の被造物たち。一本足のスキアポデス族。首なしのブレミエス族。鶴を因縁の敵とするピグミー族。胸に性器のあるポンチ族。パンとチーズで聖体拝領する巨人族。殉教願望する戦士のヌビア族。そして異教徒プラトンの知識を神秘的に探求する半人半獣のヒュパティアの継承者たち。これらの生命を包摂するオリエントの文明が白フン族に蹂躙されて崩壊するまでの経緯が語られます。それが語られるコンスタンティノープルこそ、十字軍によって蹂躙される真っ最中であるということの皮肉が効いていることをおもいだすとますますおもしろいです。

歴史とはかく語るべしという規範は古くから歴史家たちが心がけてきたもので、そこではいちおう、確かでないとされるものは省かれる。著述家が賢明であればあるほどに、魔法や幻想はもちろんのこと、権謀術数のたぐいであとに残らないものもおおい。しかし、もしもおしゃべりな人間がいて、彼の目でみた歴史をおもしろおかしく喋り散らかしたとする。はっきりしないところもたくさんあるが、嘘八百だと退けるにはあんまりおもしろすぎる。そういうとき、嘘でも結構、とにかくこのおもしろ話をもういちど話し直して聞かせよう、という態度は尊いのだとおもう。嘘や間違いをいわないようにと恐れて口をつぐまないのは誠実だとおもう。