深夜が間近にせまったころに人生で最初の救急車の担架に乗せられて病院にかつぎこまれた。三連休の二日目のことだった。顛末はこう。

その朝の未明に、思わず目がさめて、頭は重く胸は苦しく感じた。ゆうべ眠るのがいつもより一時間くらい遅かったから、敏感になった身体が体内時計を狂わせて、それといっしょに体調も狂わせながら目を開かせたのみかとおもって、 ひとまずもういちど眠ることにした。

八時、ふたたび目がさめて、不調は疑惑ではなくなった。二日酔いのように身体がおもいのだけれど、すこしだけウォッカを飲んでから寝ようかという誘惑に乗らなかったことを記憶しているから、なにか違う作用がこれをもたらしたに違いない。ベッドのうえで金縛りのようになりながら、パートナーが乗った飛行機が LAX を飛び立ってベーリング海を飛んでいるのをたしかめた。

食欲はあきらかにないが、あるいは口にものを入れて飲み込んでしまって、それからすこし散歩をして外の風でもあびたらまぎれるかもしれないとおもって、いつものように食パンをトーストして、そのあいだ白湯をいれて飲んだ。コーヒーは淹れたいともおもわなかった。できあがったトーストを目にしても、やはり食欲はでない。勇気をだしてひとくち、ふたくちとかじって、むりやりに飲み込んだら、胸が苦しくなった。白湯で押し流して、またベッドにもどることにしたら、横になったとたんに、吐き気をもよおした。

ゆっくりとトイレに向かう猶予はあって、吐き出したもののなかにゆうべの食事の残骸がおおいにまざっていることを観察する余裕もあった。余り物の野菜を片付けるために、むりに油をつかって調理した品目を重ねたから、おおかた脂質過多で消化不良をおこしたのだろうともとよりあたりをつけていた仮説が証明されたと感じて、吐ききったあとはたしかに胸のみならず頭の重さも去ったようだった。とはいえ、食欲はただちに回復せず、昼まで休憩を加えてから、成田空港に出迎えにおとずれたのだった。

成田エクスプレスでもふたたび熟睡して(さらなる眠りを要求するまで体力が落ちていることをはやく自覚するべきだったのかもしれない)、空港ではパートナーの搭乗便がちょうど着陸したアナウンスを聞きながら、バナナマフィンをかじろうとおもうくらいには食欲も回復したようにおもった。このほか、ポカリスエットとグリーンダカラを代わる代わる鯨飲した。

成田空港から東京駅までのバスから、中央線快速、民間バスと乗り継いで、17時に家に帰るころにはしかしふたたび体力が消耗してしまって、パートナーが待ちわびた日本式のネイルサロンの予約に出かけるのを見送る余力はなく、グリーンダカラのおかわりをおみやげにもってきてくれるよう言い残して、仮眠のためにベッドに倒れ込んだ。

20時、用をすませたパートナーが体温計をもってベッドのかたわらをおとずれて、はかったら 38.5℃ あった。夜間外来をやっている病院を調べたあとにもういちどはかったら 39.4℃ まであがった。救急車を呼んでもいいとおもうよと話されて、呼んでほしいとたのんだ。家の前でサイレンが止まるのが聞こえて、呼ばれるがままに立ち上がってゆっくりあるいて救急車のベッドにばたりと横たわった。問診を受けるままに、きょうの活動をひととおり話して、盲腸の履歴があることも伝えると、救急隊員がゆっくりと位置についてあちこちに電話をかけて、それから発進する様子が聞こえた。車が揺れるたびに頭痛と吐き気が増幅されるから、それをなだめるためにしきりにうめいてこらえた。パートナーが担架に固定された身体をなでてはげましてくれた。

救急外来には救急車から担架で転がされてかつぎこまれて、やっとこれで診療が受けられるとおもったら、ベッドから起こされて診察椅子に座らされて、さっき救急車でされた問診を反芻する問診をとぎれとぎれにやりなおすのにつきあった。やがていよいよ座っていられなくて、横になっていいですかと自分からいって、ようやく横になれた。コロナウイルスの検査をされたり CT を撮られたりお腹の触診をされもしたが、点滴を打つのがいちばん効いた。点滴を打たれて横になっているうちに、だんだんやわらいだ。呼吸が荒れていたのは、吸うよりも吐くほうが多くなっているからだから、意識して深呼吸するようにといわれて、そうもした。

運び込まれてから二時間ほどでかなりやわらいで、23時過ぎに帰されることになった。診断は急性腸炎で、整腸剤と解熱剤を処方された。盲腸はいつでも再発を疑うに値する病歴だから、怪しい症状があったら受診するようにと指示された。パートナーは待合室で不安に待ってくれていて、半年ぶりに一時帰国した初日にこんなことが起こって、すまないとおもった。支払った医療費は ¥15720 だった。タクシーに乗ってかえって、もういちどベッドに横になって、薬を飲んでまた泥のように眠った。それきり再発はしていないようで、整腸剤だけを飲み続けながら、もとの生活に戻ってきているけれど、便の通りはいまだよくない。