マイルス・デイヴィスの自伝を読んだ。

爆発を繰り返しながら前へ前へと突き上がる文章のエネルギーがすごい。黄金時代のラップアルバムのスキットで耳になじんだあの黒人英語のリズムでぐんぐんと話が進んでいく。あのリズム。あの黒い英語のリズムがずっと通っている。

ラップが世界を制覇する前の世代に属するこの音楽家は、若くない。若いころには汚れひとつないピカピカのスーツをビシッと決めて、背筋を伸ばしてトランペットを吹いていた。行儀よくさえもみえかねない。しかし肉体の老いたその芸術家が話す言葉がおそろしいほど今風のリズムをたずさえていて、ビバップのスピード感でぐんぐん読ませる。

自然とおかれているけれど、特別なスタイルである。むずかしい言葉はほとんどない(目がつまずいた単語はアンブシュアくらい)。むずかしくないことは知的でないということでない。誰が知的かそうでないかは関係ない。ある話しかたのスタイルがあって、それはアフリカ系アメリカ人のコミュニティが共有するものであって、それはアングロサクソンの言葉への同化に強くあらがっている。基礎的な言葉ほど歴史の重みを担って存在感がある。そういう言葉でマイルスは話して、話した言葉のまま書かれている。

すごくいい本だとおもう。何度でも読み直したい本だと読み終えてただちにおもった。何度でも一気読みしたいし、気になる時代のパートだけを思いついたときにつまみ読みするだけでもおもしろいはず。解説を求めて読むより、音楽に耳をすませてよく集中して聞くことのほうが豊かにもみえるが、読んで得た知識がもとからそこにあった音楽を豊かにすることはないにしても、それは耳をやわらかくひらかせて外に向ける。これは20世紀のもっとも重要な音楽についての、もっとも重要な本のひとつに違いない。

これは音楽をやりたくさせる本。アコースティック時代の音楽的競争の話は、ぼくに都内のジャズクラブのスケジュールをあわただしく調べはじめさせて、すでに何人かの新しい音楽家をみつけさせた。みんなで音楽をやることがどれほど幸せなことかと信じさせる説得力がある。自分のトーンを持ち込んで、相手のトーンと混ぜて鳴らして、即興の音楽をつくる営み。あとにも先にもどこにもないものを、いまここにだけ作り出すことの喜び。

スタイルとドライブが一体になってエピソードを語っているから、どんなに断片的な小話であろうと、違う言葉で語り直そうとさせない。うんちくを抽出できそうな話はいくつもあってどれもおもしろいのだけど、語る言葉のリズムが話をおもしろくしているから、違う言葉で話したところでおなじようにおもしろくなるわけでもない。それはちょうど音楽を言葉で要約できないこととつながっている。

長い音楽を聞いたあとに残る、あの「ああいい音楽だった」という情感。つまり「あの一秒がよかった」とか「あのフレーズがよかった」というミクロな評価をくだすことが徒労としか感じられないくらい、すべてが豊かであったとただちに懐かしさを感じさせる、あの心地よい疲れ。そこを通り抜けた時間の豊かさを身体や時間と切り離して言い当てることができないように、これを読んだ時間はただ充実してたのしくながれて、終わったあとには孤独な満足感が残った。