金曜日、新文芸坐で映画を観ました。

一関市の、駅からそう近くもなくて便利なアクセスとはほどとおいところに、ジャズの聖地があります。ジャズ喫茶ベイシーは、この映画のロケーションです。店主の菅原さんの、職業と人生とに分割できない長いプロジェクトでもあります。

聖地と憧れを向けられる喫茶店です。国際的な演奏家がわらわらと一関にやってきます。カウント・ベイシーがやってきます。ペーター・ブロッツマンがやってきます。エルヴィン・ジョーンズがやってきます。渡辺貞夫がやってきます。やってきて、喫茶店をジャズのホットスポットに変身させます。東京にもニューヨークにも負けない熱い夜がもたらされます。

レガシービジネスです。退潮がみえても消滅とまではいきません。昭和の置き土産といわれることもあるけれど、実のところ新しく開業する若いひともあります。ジャズ喫茶はしぶといです。どうしてしぶといんだろう。ジャズっていう音楽がいがいとしぶといからねえ、衰えてきてるっていうけど。と菅原さんはサングラスで隠しきれない笑みを謙遜と興奮と皮肉を混ぜたみたいに浮かべて話します。「ジャズがしぶといから、ジャズ喫茶っていうのもジャズに似てしぶとくなってきてるんじゃねえかな」

誰かがいいました。東北のしいたげられてきた風土と、ジャズっていう音楽の、混ざりやすさのこと。熱く誇り高い芸術のジャズは、ゆるやかに人気を失って文化の辺境に追いやられています。しぼんできていることはわかっているし、もういちど復権することもたぶんないと、なんとなくみんな覚悟しています。それでも録音は残っています。新しい演奏家がやってきて新しい録音をつけたします。アーカイブを発見するチャンスはいろんなところにあります。派手じゃなく存在することは、存在しないこととのあいだに無限のへだたりをもちます。ジャズは存在して、きっと消えることはない。どうせ消えないんだから、ただやっていけばいい。開き直るだけではないしたたかな信念が深くにみえます。

撮影のあいまの気楽な映像のなかで、菅原さんが友達とのんびりお茶を飲んで座っています。前触れもなく菅原さんは猛然と突きあがって、カウンターの向こうにあるターンテーブルに駆けこんで、演奏中のレコードを緊急停止する。にわかに緊張が走ります。「揺れたね」「あら、そうだった?」「うん、揺れた」カメラがとらえなかった緊張の源が教えられます。

東北ジャズ喫茶連盟という団体があって、互助をおこなっているそうです。盛岡のジャズ喫茶とか、登米のジャズ喫茶が紹介されます。レコード棚が崩落したり柱にひびのはいる被害を受けたことが語られます。地震の損害を受けなかったお店はひとつもなかったでしょう。陸前高田のジャズ喫茶は、浸水被害も受けて、ふたたび営業することができなくなってしまった。そのとき東北ジャズ喫茶連盟は、そのお店が盛岡に移転してやりなおせるように、お金を出し合って、それを実現させた。そんなお話がアフタートークで語られました。

新文芸坐のリッチなサウンドシステムが映画のポテンシャルを引き出すように上映音をチューニングしたのは、オノセイゲンさんです。いつもの上映よりもおおきい音でこの映画をみせられるように、それから劇場のどの席に座っていても素晴らしい音を聞くことができるように、工夫がされているのだそうです。

とにかく音はすごかった。マイルスの “Fast Track” の抜粋がすごかった。 We Want Miles (1982) ってアルバムにはいってるんですね。これ知らなかったけど、すごい演奏だった。なにがすごいのかよくわからないけど、すごいもの聞いたとおもった。

映画をみた次の日、電車に乗って聞こうとおもったけどやめた。ちゃんと聞けない気がして。本気の音で聞いて、中途半端な音で聞き直さなくていい、そうおもったのかも。電車のなかでひまつぶしに聞いてもなんにもならない、どうせ降りるまできき終わんないし。映画館で聞いた音には、あとをひく特別な印象があったみたいなんです。音楽はこんなにすごいんだ、へんに聞けないぞって。

音楽が生活の飾りになって、ジャズはすこしおしゃれなアンビエント音楽として意識されるほうが優勢なころあいです。ジャズ喫茶にジャズ聞きにいくって、昭和の男の世界って感じだったんでしょうか。マナーに厳しい。下手なことはいえない。馬鹿だとおもわれないように振る舞わないといけない。マウント取られるほうが悪いみたいな。こわいはこわいけれど、そうやって文化をつくりあげた時代もあったんだなあと想像したりします。古臭いやりかたと断罪してかえりみないには惜しい文化なのかなとも思いはじめちゃう。わからないものをわかりたいとおもって、自分を消して、ただ見て聞いて学び知るのに背伸びするのを苦しいとおもわないひとの情熱によって文化ができた。できた文化は継承された。そういう話でもあるんでしょうか。

この映画は、音楽を演奏することと、音楽を聞くことにフォーカスして、音のあいだに立つ人間の時間とはなにかを伝えようとします。人間のいとなみをとりあげて、本性にぐっとせまるような瞬間をいくつも収めています。いろんな話がいろんなやりかたで語られて、脱線してはもとにもどります。あらゆる話題がジャズ喫茶の一点に収束してはいかなく、ジャズ喫茶というテーマをころがしながら、とおりすぎるひとがつぎつぎアドリブに参加してばしっと演奏しては出ていくみたいな映画です。