仕事を止めています。10月の前半まで、ぎりぎりの心理状態で綱渡りをするような時間を過ごしたあと、勇気を出して活動を停止することにしました。復帰の予定は、まっさらの白紙です。

実をいうと、7月に正規雇用の職を辞めていました。それから知人のプロジェクトに無償で取り組みはじめました。それを遂行するエネルギーに満ちていると自分では信じていたものの、うまくいかないこと、とりわけ信頼と尊厳に関わる重大なトラブルがいくつも重なって、しまいには心が壊れてしまうことになりました。

心が壊れてしまうとは、こういうことです。不眠症。食欲減退。吐き気。足のすくみ。気力の喪失。集中力の退行。嬉しくも悲しくもないはずの時間に、ただ涙だけがぼろぼろとあふれてきて止まらなくなるということがありました。鏡のなかの裸体をみて、肩幅が狭くなったことが明らかにわかるくらい、体重が急激に落ちました。

うつ病でしょうか。それは専門家でないのでわかりません。でも、もしそう診断されたらそれを素直に受け入れられる気がします。自分では体調のシグナルに気づかないで、10時間の眠りさえあれば回復できると信じているようなところもありました。頭がおかしくなってしまう自分のことを責めてさえいました。自分は負け犬だと感じて、いっそ最初から存在しなければよかったという考えに取り憑かれていました。

幸いにして、親密なひとびとに助けを求めることができました。ごはんを食べて安心して眠れるように、実家の母が守ってくれました。他責を追及することをためらうぼくに代わって、パートナーが義憤を代弁して励ましてくれました。

ぼくのことを愛してくれるひとが存在することのうれしさを、かつてないおおきさで感じます。それに真っ向から反発する力として、お前はどうしようもなく無価値な存在だと鋭く突きつけるような記憶の再現も、悲しいことに繰り返し起こります。作用と反作用のそれぞれの力がいつになく大きくて、非常な緊張のあいまに立っています。

急性虫垂炎を発症したことは、心理状態とは関連しないことのはずですが、心がきしんで悲鳴をあげていることの肉体的実現でもあるようです。神様がぼくに休みなさいと命令しているのだとして、ぼくはそれを信じる勇気をもちたいとおもいます。バランスの崩れた身体と心のケアをすることこそ最重要の任務であって、それは自分以外のだれかに自分を認めさせることよりもずっと、尊厳に満ちたおこないなのだと信じようとしています。

苦しみを誰にも話すことのできなかった段階がまずありました。親密なひとびとに苦しみを告白する段階が次にありました。そしていま、自分は苦しんだと文字にあらわすことができるようになりました。この文章がいくつもの細部を抑圧していることに違いはありません。しかしこうして自分の状態のスナップショットをとること自体が、苦痛を克服するためのセラピーになることを祈っています。