医者と患者のあいだには上下関係があって、それは政治と国民、社長と社員、親と子、天皇と臣民、といったものと相似する。論理が適切であるかの検証ステップはときに希薄で、上から下への絶対命令だけが独り歩きする。
すべての医者が権威主義者であるとはいわない。しかし、ハズレくじを引くことのほうがずっと多い感覚を持ってしまうわけだ。
願わくは、そうでないお医者さまにかかりたいものだ。聞き相手にあわせた言葉で所見を説明することのできる話し上手であって、話し相手にあわせた耳で症状を聴くことのできる聞き上手でもある、優れたコミュニケーターであるようなお医者さま。そうはいっても、このひとは丁寧にみてくださる、とおもう医師はたいがいみずから高齢を召されていて、やがていなくなってしまわれる。いっぽうで若い医師は、そこらの居酒屋で金や地位にまつわる下品な自慢をしているのが目について、やっぱり信用ならないじゃないかとみえてしまうこともある。
診療報酬という金の小槌が国家によって保証されたこの職業を目指す競争に、本来それにふさわしい倫理観を備えた才能はもはや参入しないという悲劇があるだろうか。そうではないと信じたいものだ。しかし、安心してかかれるお医者さんはいったいどこにいるだろう。東京のような不毛な街で探すことは、それ自体が不毛であるか。