クリードの第三作を新宿バルト9で観た。

上映がはじまってまだ2週間くらいとおもうのに、各館1日に1回だけの上映、しかもほとんどがレイトショーという状況だった。このままではもうすぐ公開自体が終わってしまうのではないかとあわてた。大好きなシリーズであるから、不人気であったとしても劇場に観ずに済ませては後悔するだろうと、終演後には電車がなくなることも見越して自転車で観に行った。

マイケル・B・ジョーダンがキャリアで初めて監督業を務めるということは、制作中のニュースで知っていた。それで出来が悪くなってしまって成績も悪くなってしまっただろうかと邪推していた。とはいえ、彼の出演する映画で出来の悪い映画をひとつも観たことがないから、きっとうまくやっているはずだとも信じていた。

たいへん満足してみた。冒頭の回想シーンが終わったあと、いきなりクリードの引退試合を迎える。その相手はリッキー・コンラン。チャンピオンとして引退して、ビジネスマンに転身したクリードを古い親友が訪れる。ジョナサン・メジャースが演じる、デミアン・ダイヤモンド・アンダーソン。この男が本作のヒールである。

デミアンはこのシリーズ最高の悪役といってよい。邪悪一辺倒というのではなく、人生の苦悶がにじみでた佇まいをしているのがいい。狂気と純真さと邪悪さがひとりの人間のなかに同居していることに違和感をもたせない脚本、演技、演出がよい。

出会いのシーン、ハンバーガーショップでクリードとデミアンが20年ぶりに一緒にライトな食事をするシーンから、デミアンへの演出には並外れたところがあった。服役を終えたばかりでありながら、人生の計画を書いた小さな手帳をたずさえて、クリードのほどこしを拒絶するデミアン。後輩のクリードさえすでに引退しているというのに、中年にしてチャンピオンを目指すと無邪気に語るデミアン。

誰を殺したわけでもないのに若くして収監されて、そのまま20年間を監獄で過ごさないといけないということ。それはアメリカの才能ある黒人から機会を奪おうとするシステムの一部であるから、それの被害者でありながら克己心をもって立ち上がり直そうとするデミアンには好意を持たざるをえない。ビジネスマンとなったクリードに誘われたパーティで、楽しもうとしているのにいまいちなじみきれていないデミアンの姿にも、スーツを着慣れないぼくはどこか共感を抱いていた。

引退したクリードを継いでチャンピオンとなったフェリックス・チャベスとのタイトルマッチの機会をクリード自身がデミアンに与えて、彼はそれを勝ち取る。そこからマリー・アンが倒れて、クリードがタイトル挑戦を宣言するところまでは、いくぶん性急だった。引退したクリードにもういちど戦う理由があたえられなければ映画が成立しないから、その動機を無理にでも作るというのはよい。しかしデミアンが表面上の物静かさも持たないようになり、にわかに露悪的な態度をクリードに向けだすのは、いまいち好かなかった。試合終了後のダイアログでふたたび内省を取り戻す姿をみせられると、なおさらチャンピオン戦のあとのデミアンの狂乱は乖離してみえた。

クリードとデミアンの試合は、いつものように緊張感をもって描かれていた。3年ぶりの試合にクリードが身体を目覚めさせる2ラウンドのあと、第3ラウンドから第11ラウンドまでを特殊効果で演出するのも、飛び道具としてよく機能していた。『チャンプを継ぐ男』ほどのカタルシスは訪れないけれど、老いたとはいえ史上最強のチャンピオンとして勝ち切るクリードのしたたかさが目新しく映った。