ノア・バームバック監督の『フランシス・ハ』を観た。
社会にうまく馴染めない、というほどに悲壮感のあるわけではないけれど、空回りをしてはどこかさみしげなフランシス、27歳を描く。
惨めたらしく過ごしても不思議でないはずの人生が、口から生まれてきたようにおしゃべり好きな性格によって明るくみえる。そうはいっても、親友との同居を解消して、パートナーには見捨てられ、目標としていた仕事には届かず、家賃をはらえるかどうかに不安げで、 ATM の手数料をみてわずかに躊躇する。その様子は、もう若さばかりではない、しかしまだなにも手に入れていないという20代の不安をよく映しだしている。
成功には遠くみえるフランシスが選ばないただひとつのことは、いじけて立ち止まることである。そのことが気に入った。彼女がそう宣言するわけではないけれど、その意志は性格に根ざしていて曲がらない。
思いつきでフランスにいったり、学生がやるようなアルバイトをして糊口をしのいだり。都市生活のもの悲しさを、どうにかポジティブな視点に変換して生を謳歌する。そういう動機がみえて、それはいまのぼくの悩みごとに深くしみいるような気がした。
昔からの親友が紹介してくれた新しい友だちが、気づけばまた昔からの友だちとなる。いちど別れてしまえばふたたび出会わないひとのおおさにおののくよりも、新しい取り組みを後押ししてくれるひとにぎりのひとたちとの親密な空気を享受すること。自分の家賃を自分で払うことのよろこび。そういう小市民的なありかたをのんびりとしたトーンで伝えて雄弁な映画であった。