新国立劇場に、『リゴレット』をみにいった。初日の公演であった。
筋書きは救いのない悲劇そのものである。
容貌が醜いからほかに仕事もなく道化師をするリゴレットは、一人娘のジルダをたいせつに愛する父の顔ももつ。彼のあるじにしてのちに敵となるマントヴァ公爵は、容貌に優れて女遊びの放蕩にふける。しかし堕落しきったというよりは君主の威厳と色男の魅力を兼ね備えた男性像である。このふたりが対照的に配されて、リゴレットは公爵への復讐をこころざしたはずが、かえってさらなる悲劇の沼に落ちていく…。
三人のメインキャストの圧巻の歌唱によって記憶に残る舞台であった。ベテランのロベルト・フロンターリがリゴレット、アルメニア出身の実力派たるハスミック・トロシャンがジルダ、ペルー出身の若いイヴァン・アヨン・リヴァスがマントヴァ公爵を演じて、独唱のアリアも重唱のハーモニーも、いずれも力強いパフォーマンスだった。
第二幕のジルダのアリアが先鞭をつけた。繊細な情緒をしぼりだすようにしながら声量に妥協のない歌唱は、オペラでしか聴くことのできない人間の技工の頂上をみた。その先はほとんど一曲ごとにオベーションが起こったし、カーテンコールは祝祭的な大喝采だった。そういう晴れやかな気分に会場を導いたのはトロシャンであったとおもう。
役柄に歌手がよく合っていることもいい。リゴレットは老人で、ジルダは小柄な娘。そして公爵は若いカリスマ。歌う能力のあるひとが歌っているというのでなく、歌って演じることで『リゴレット』を作り上げられるタレントが集まっていたという気がする。
オーケストラの存在感にも目をみひらいた。指揮はマウリツィオ・ベニーニ。アリアがアカペラを迎えるたびに、彼のタクトにも思わず目が向いた。大合奏の部分でも、上体の全体をつかってオーケストラを導く彼の姿がよくみえた。座席の位置がいつもよりもすこし前方であったおかげで、そういう機微がよくみえたのかもしれない。オーケストラなしのオペラはありえないけれど、きょうほどオーケストラの存在をおおきく感じたオペラははじめてだった。