スター・ウォーズの第三作を観た。監督は再交代してリチャード・マーカンド。ジョージ・ルーカスが脚本にクレジットされているのは第一作以来になる。
前作までどこか頼りなさが残っていたルーク・スカイウォーカーは、冒頭から英雄の風格を身につけている。ジャバ・ザ・ハットの根城で逆境におかれても勝利を確信して堂々たる姿がそう。暗黒卿の門前でダース・ベイダーと一騎打ちをする場面では、緑と赤のライトセイバーで派手な殺陣をしていて、戦闘技術の大幅な向上はそこからもみてとれる。
死の描写はいくらか軽くみえる。みずから死期が近いと語るヨーダは、横になろうとしていただけだったはずが、なぜか急激に衰弱して去る。改心したアナキンは、ルークに右の義手をもがれたあとも健康そうに立ち回って暗黒卿をほうむったのに、その次のシーンで倒れる。ルークのほうがより長くフォースの電撃にさらされたことをおもうと、なにがアナキンにとって致命的だったのかはわからずじまいということになる。しかし、その性急さもまたエンターテインメントなのであろう。
ルークの父親への執着は、美談としてまとめあげられているが、キャラクターの心理としてはいまいち腑に落ちない気がした。悪としてしか対峙したことのない相手をどうして父として信じぬくことができるのか。父だからか? いくぶん「理想の家族」というバイアスに引っ張られているようにもみえる。しかし…父殺しの寓話に向かうのが自然ともいえるところで、そうはせずに父親像のファンタジーを貫くということの意味は、容易ならざるものがありそうだ。
音楽にも耳を奪われることがあった。ジャバ・ザ・ハットの宮殿での饗宴を盛り上げるファンク・フュージョンな曲もよかったし、エンドアでの大団円を飾るドラム曲もよい。『新たなる希望』の、オビ=ワンとハン・ソロが出会う酒場でかかっていたジャズがいくぶん「いかがわしい音楽」という意味付けだけを持っているようですこし違和感がことと比べて、本作の音楽演出はメタ意味が前景に出すぎずに、ただ音楽がそこにあるという様子で利用されているのが爽やかだった。帝国を打倒した祝勝会を、宮殿で貴族的に祝うのではなく、イウォークたちとカーニバル的に騒ぐのも、反乱軍の開放的な態度をあらわしているようでよかった。