黒澤明によるドストエフスキーの映画化作品を観た。舞台をロシアから札幌に移して、ふたりの男とふたりの女の複雑な関係を提示している。
たくましい男性像とかよわい男性像の対比がいっぽうにあって、他方で女たちは気が強くなよなよしていない。しかし傲慢すれすれの気丈さの影には、ひどく脆弱な魂があることが示唆される。原節子さんの演じる那須妙子の造形である。
主人公の亀田は、戦争裁判の誤審による銃殺をまぬがれるも、それによって気が触れているとみずから語る。癲癇であると。彼をおぎなう片割れの赤間は、精力と財力を兼ね備える。森雅之さんと三船敏郎さんがそれぞれ演じている。那須妙子はそのふたりを翻弄したうえ、さらに別の女性を奇妙なやりかたで三角関係に引き込む。誰一人として極悪人はいないにもかかわらず、まっすぐに生きることのできない気難しさが、破滅をもたらす…。
一貫した言動というものはなく、みなうろうろと気がうつろっている。気分が変わるのは人間の性であるが、どうしてこうも激しく転換するのかと、映画の意図を理解できないところもあった。那須妙子が繰り返し心変わりするのは、心のおさなさゆえであるか。男らしさをたずさえていた赤間が最後にはひどく打ちひしがれるのは、自信の弱さゆえであるか。大野綾子が亀田につらくあたるのは、乙女心というものであるか。那須妙子を救いたいと願いながら大野綾子に求婚する亀田は、白痴であるからしかたがないだろうか。みながみな、独特な理屈で心にあることないことを語って動き回るから、すがるべき幹のないような思いになりもした。亀田のほかに戦争体験を語るキャラクターはいないのだけれど、それぞれのどこか地に足のつかない感覚こそが、戦後の混乱を言い当てているのかもしれない。
雪につつまれた札幌でロケ撮影をした場面がおおくあって、豪雪は昔もいかめしかったとみえた。屋根にのしかかる分厚い塊の雪。スケート見物に雪まつり、公園での逢瀬やベンチでの昼寝と、戦後の風俗がつつましく描かれているのがよかった。
大野夫人の、はじめはよそ者を嫌って冷たく、ひとの悪口ばかりをいっているような悪印象にはじまりながら、やがて亀田の純朴さを認めて、娘といっしょに涙を流すやさしさをみせるにいたる変遷は、これもまた複雑な情緒のゆらぎがありながら、年増の女性のしたたかさと懐の深さをしみじみと見せる演技で好ましくおもった。