ポール・バーホーベンの新作を新宿武蔵野館に観に行った。

秘蹟が事実であるか虚言かで揺れるドラマであるが、超越的な奇蹟は存在するはずがないという立場から眺めるに脆弱さもある。この修道女は実在したと冒頭と末尾でしつこく言及するのはいくぶん蛇足であった。修道女は実在するだろうが、奇蹟が実在しえないのは自明であって、すると演繹によってベネデッタは狂言回しにほかならないと最初からわかってしまうからである。

編集に不愉快さを感じさせられることもおおかった。よく言えばテンポよくシーンが変わっていく。悪くいうと落ち着きがない。あわてるようにして主要人物と舞台のお膳立てを説明する序盤のシークエンスは、集中しようにもそれを許さない拙速さがあった。主張すべきことは画面に映し出されるもので自己完結していて、それが造形の粗さとしてあらわれている。たとえば冒頭、野伏が幼いベネデッタ一行を襲おうとして一杯食わされるのはどうにもご都合主義がすぎる。ベネデッタがバルトロメアと出会い、仲を深めていくやりかたも、いまいち説得力がない。バルトロメアは貧乏暮らしを救われた通りに下品な態度をはじめは持つが、性暴力の犠牲にされてきたことを示唆するにしたがって急に毅然の性格が与えられる。これはしかし強引である。もうすこし丁寧に描く余地はあったはず。シーン構成の性急さからみるに、もともとのエディションは公開版の少なくとも2倍の長さはあって、それを無理やりに劇場公開サイズに縮小したものをわれわれは見せられたのではないだろうか。

淫蕩や自殺といったタブーにもところどころ触れながら、基本的には(現代的な意味での)善悪の基準ははっきりと指示されている。誰に共感すべきかが明らかになっているということである。そのことに物足りなさを感じながら観続けていたが、最後の最後にそれが成功として作用した。民衆が暴力を解放して、地上の権威を崩すのである。それはベネデッタが扇動したものであるが、ベネデッタよりも民衆にいきいきと存在感が与えられていた。それは演出効果であるのか、不測の効果であるのかは定かでない。しかしいずれにしてもぼくはそれを好ましくおもった。教皇大使の血まみれでの臨終のセリフ「最後まで嘘ばっかりだ…」は、終始傲慢な小物として描かれていた男にコミカルな味わいを与えていて、笑みがこぼれた。

修道長フェリシア役の、シャーロット・ランプリングの演技はすぐれてよかった。佇まいに存在感があって、なにかをすることによって語ろうとする演出が多いなかで、なにかをしないことによって雄弁であった。嫌な女として登場した彼女が、神父の前で娘の告発に不協力することを選ぶ場面で凄みを見せたかとおもえば、ベネデッタの火刑阻止の場面では命を張った道化をこなして、すこぶる多義的な役柄であった。ベネデッタよりも彼女のほうを深く記憶し続けたとしても不思議はない。