人間の自由を疑ってしまいかねない気分のときにうってつけの映画を観た。

怠惰で粗暴であることは悪であるのか? 手に入れたいものを求めることは傲慢であるのか? 判決をくだして断罪しようとする者もまた、不完全な人間であるというのに。

刑務作業はしたくない。くだらない話し合いは茶化したい。やりたくないことはなにもしたくない。ワールドシリーズはみたい。トランプゲームはやりたい。金網の外に出かけてたのしい遊びをたのしみたい。マクマーフィーは精神病棟の入院患者たちに、ありもしない権威の幻想をからかって、人生をありのままに味わって生きることを教える。

おべっかつかいのようにおどおどしていたチェズウィックが、やがて婦長がタバコを没収したことに不満をあらわして抗議する場面は秀逸である。友達にゆずってもらったタバコではなくて、自分だけのタバコがほしい! 自分だけのその味をたのしみたい!

素朴な疑問と怒りの発露に対して、あなたは冷静さを欠いていると論点をすり替えてみせる婦長の姿は、権力がもついやらしい政治的振る舞いの見事な風刺になっている。おかしいものをおかしいというために、飼いならされた態度がどうして必要であろう?

自由と尊厳を取り戻したチーフは、人間性を決定的に奪われたマクマーフィーの究極の尊厳を回復させて、みずからも檻を飛び出していく。その最後のシークエンスは残酷な社会のありようにわずかばかりのあかるい余韻をもたらす。枕をつかった静かな暴力から、水道台を破壊する激しい暴力に向けて秘められた情感が開放されるのを演出して、徐々に高まる一筋の劇伴もよい。