スピルバーグの駆け出し時代の作品を観た。不条理と被害妄想が重なり合うさまを描いて、アメリカらしい物語であると感じた。
ほとんど全編がたったひとりのカーチェイスに費やされていて、スクリーンに二人以上の人物が映るシーンはごく少なく切り詰められている。主人公が妻に電話を掛けるシーンは、彼が家庭をもつという情報を提供する機能に徹していて、それによって立ち上がる愁いはない。爬虫類を見世物にするガスステーションは、トレーラーがそれを破壊するための小道具になっている。気落ちしながら入店したダイナーで、隠れた敵の存在に戦慄するシーンもまた、カーチェイスの合間の箸休めにすぎないようなものとして配置されている。もっとも、サンドイッチにケチャップがないと嘆く様子は、主人公の不愉快を強めるディテールとしていい効果をあげていたようにおもう。
見えざる敵に執拗な攻撃を受けることの恐怖がテーマになっている。あけすけにいえば、あおり運転の不条理をあつかっている。主人公の心理に立てば不条理であるが、感情移入を停止して眺めると、その心理そのものがパラノイアにもみえはじめる。実際、劇中で彼が第三者に被害を主張するさまは理路を欠いていて、しかもそれが妙に高圧的であるので、誰もそれに耳を貸さないのは自然である。ひらたくいうと、魅力的な人格が主役に与えられていない。
つまり狂気と狂気のぶつかりあいである。ほとんど人気のないカリフォルニアの山道で、モンスタートラックと一般乗用車がつばぜり合いをする。命からがらというぐあいにモンスターを葬ることに成功して、主人公が夕陽を背後に晴れやかな表情を浮かべるエンドロールのシークエンスはしかし、彼もまたひとりのモンスターであることを示唆しているようにみえた。
「激突」は最後の最後にいちど起こるだけであるし、「激突」よりもそのまま崖下に転落していくトラックのほうがはるかに壮観となるように演出されているから、原題の Duel はげにふさわしいタイトルとおもう。