全48話中44話まで観た。もうすこしでフィナーレなのだけれど、おもしろくなくなってしまったので、来年に持ち越すことはせずにおしまいにすることにした。

源実朝が右大臣に叙されて、鶴岡八幡宮に参詣する。その雪の日の惨劇をいざ迎えようというところまでになる。このあと実朝が殺害され、承久の乱をおさめて完結となるのだろうけれど、あと4話でそれを描き切るのはたぶん不可能だ。ダイジェストのようにあわてた幕引きになるだろう。余韻の予感が持てない。

源頼朝が鎌倉政権をつくりあげて斃れるまでが、圧倒的におもしろかった。佐藤浩市さんの演ずる上総広常が謀殺されるところなど、かなりエモーショナルであるがまっすぐに印象深く記憶させられた。しかし二代将軍以降の鎌倉の内紛は、単に陰惨であるのみならず、動機も結末も浅はかな小競り合いの繰り返しというぐあいで、ほとんどおもしろいとおもわなかった。

おもうに、北条義時は叙事詩の主座にふさわしくない。それに尽きる。鎌倉幕府成立から承久の乱までを生きて目撃した数少ないひとりであるわけだが、それはこの男が特別に優れていたことを意味しない。たまたま生き延びる運を持っていたに過ぎない。和田合戦以降の義時はのっぺりとした演技で演じられて、この主人公から魅力を取り除くことが演出の軸になっていたようにさえおもわれる。

英雄的な才覚を無理に引き出そうとせず、凡庸な人格として演出する判断はあってもよい。実際、歴史というものは偉大な才能だけがつくるものでなく、有象無象のうごめきのあとに残るものであるはず。しかし、こと劇作品となると主役に光る美点がなければお話にならない。ぼくはそう感じた。

合議制の幕府運営がはじまってからというもの、ドラマはヒーロー不在におちいって、通俗化する。政治のかけひきは凡庸で、描かれる感情も凡庸である。実朝が天才歌人として頭角をあらわしたことでつかのま息を吹き返したようにもみえたが、最後にはその実朝もメロドラマ的な狼狽に取り憑かれて俗に落ちた。それでもう最後まで観られなくなってしまった。

陰謀が陰謀を呼ぶ暗いドラマと聞いて期待するところもあったが、どうもだんだんに陰謀の推移が自己模倣的になった。脚本に繰り返される愚かさは、政治のばかばかしさを冷笑しているのだとおもえば理解できなくもないけれど、冷笑主義はもとよりぼくの好むところではない。