石黒正数の『外天楼』を読んだ。コミック好きの同僚らがこの作家に言及しているのを聞いて、短編集の装いをしているこれをひとつ読んでみることにしたのだった。
舞台背景の情報を短い挿話に書き込んで、本筋からの逸脱も群像劇にちりばめながら、最後にはひとつの人格の存在理由に急激にせまっていく。巧みなプロットメイカーであると感じた。それを文庫本の頁数におさめる手際もあざやかである。
しかし熱狂して再読する意志ははぐくまれなかった。あまりにウェルメイドすぎて、それがかえってスケールを小さくしているような気がした。生命倫理の主題を、ある科学者の狂気とその犠牲者の葛藤として提出する。それを演出するために技巧的な表現を動員する。すべてがうまくいっているようにみえるのだが、なにかとんでもなく重要なものを捨象してしまっているようにもおもわれる。
たとえば、尊厳について。生命の尊厳を守るための闘いが、やがて別の生命の尊厳を奪うことに帰結すること。それは美しく描かれているが、拙速でないだろうか? 俗情にほだされて、勧善懲悪のクリシェにおちいっていないか?