大学時代から彼を好んでいた友人に誘われて、お台場にジェイコブ・コリアーのバンドを観に行った。

Zepp Diversity は混んでいた。それで文句があるというよりはむしろ、オールスタンディングでぎゅうぎゅうになりながら大きな音で音楽をやるイベントがもう戻ってきていることを知った興奮のほうがおおきかった。エールは禁止と開演前にアナウンスがあったが、誰かがそれをしたところでしかめ面をするわけでもなかった。実際、演者が合唱をうながす場面もあった。

マルチな器楽奏者ということは知っていて、多重録音の音源もすくないながらきいたことはあった。生演奏のステージはその印象のままに、ひとつの曲のなかでも楽器をとっかえひっかえして縦横無尽というぐあいだった。しかもどれをとっても、ただかき鳴らすわけではなしに、早いパッセージもしっかりと弾きこなして、随所においしいフレージングさえ織り交ぜるおどろきの技術力であった。同伴した友人が「アル・ディ・メオラみたいなギター」「アル・ディ・メオラ以外でアル・ディ・メオラっぽいとおもったのはじめて」などといっていて、おもしろかった。

イギリス訛りの深い声は、話し口ではベネディクト・カンバーバッチのようで、歌い始めると伸びやかだった。低い声の持ち主のようにみえるが、ぼく自身の声域も似たようなものであるだけに、あそこまでよく通って濁らないのはきっと声質や発声の鍛錬によるものなのだろうとおもった。特別速度を落として話しているわけでもないのに、きちんと一語一語が聞き取りやすい英語を話していて、それも彼に固有の特質だろうかとおもった。

ほとんど知らない音楽家のワンマンライブにいくというのは、学生のころであればできなかった楽しみだったろう。誘われるがままにほいほいついていった格好だったけれど、すっかり楽しませられてしまった。音楽はたのしいな、というプリミティブな情感があった。プレスリーの “Can’t Help Falling In Love” 、 MJ の “Human Nature” 、ビートルズの “Blackbird” のように、みんなが知っている曲を独特のアレンジでカバーするのもおもしろかった。セットリストをプレイリストにして保存したので、しばらくはそれを聞いて仕事をすることになりそうだ。

開演前の SE でコモンとディアンジェロの “So Far To Go” がかかっていて、それを好いていた別のともだちのことを思い出したりした。終演後には EW&F の “September” が流れた。