異なる時代と地域をそれぞれ専門にする12人の歴史家の、歴史学へのイントロダクション講義を束ねた本。これを読んだ。

「思考法」とひとつの言葉で抽象化するにも多彩なもののみかたが提示されて、とうぜんこの一冊によって歴史学のすべてを飲み下すことはできない。しかしいくつもある世界の認識のしかたが提示され、そのひとつひとつにまったく異なる例がおぎなわれていることをおもしろくおもった。2020年の刊行。若い論文からの引用もおおく、アーカイブ的な総まとめというよりも、同時代のゆらぎも排除せずスナップショットしたものにみえた。

形式にもとづいて具象を語る前半部はおもしろい。具象にもとづいて形式を語ろうとする後半部はもっとおもしろい。人間の精神のうち、不変であるものが浮き彫りになっていく様子にわくわくする。たとえば、秩序と逸脱のダイナミズムを表す「シャリバリ」の話が8章にある。同時代のことばで過去を語ってしまうアナクロニズムの話が11章にある。現代と過去をくらべて、われらは進歩していると愚昧に信じるというのでも、われらは過ちを繰り返していると悲観ぶるのでもなく、ただ状況を観察して述べるやりかたが穏やかだ。

第10章からは、ソシュールを引用しながらことばそのものの話題に接近する。「本当のことは決して語ることができない」という切実な状況を突破するためのやりかたが模索される。ソシュールが乗り越えようとして沈黙に陥らざるをえなかった近代の壁を、歴史家たちがなんとか乗り越えようともがく様子が説明される。導かれる方法論は、「誠実であること」である。誠実である限りにおいて、歴史を美的に修飾することも許される。これは実証性の立場にあるひとびとの眉をひそめさせるものに違いないが、その実証性という近代のドグマを打ち破るための研究がここにある。読み違えているかもしれないが、主観をゆさぶってそう思わせる文章それ自体にグッときた。

丸山圭三郎の『ソシュールを読む』の読書ノートが過去のエントリにあるのでリンクをする。 https://jnsato.hateblo.jp/entry/2022/05/17/230000