卒業論文の添削を受けていた4年半前からはじめて先生に会った。
急き立てられるようにして仕事をはじめてしまって、勉強すべきだったことをほったらかしにしてしまっていたと後悔するように思い出すことがあった。大学院に進んでもお金の問題に苦労しなくていいようにとはじめたプログラミングのアルバイトが、やがてそれ自体たのしいものとなって、人生の軌道がいまの道に乗った。もし違う人生があったならば、と想像するのは誰にでもあることだろう。ぼくにとっては、実務的な技術におおむね安心を持てるようになって30歳の入り口を迎えているいまが、あるいは勉強をやりなおす好機なのではないかと不意に感じたのだった。
あまり入念に考える前にまずは話を聞いてみようと久しぶりにメールを送ってみたら、この週末に研究室を開放しているのでぜひどうぞと誘われた。成功を手に入れてドイツに去ったと聞いていましたが、元気にやっているようでなによりです。とあいさつされた。卒業後はそれほど学内に知り合いも残っていなかったはずだが、噂話というのは伝わるべきひとには伝わるらしい。もっとも、成功を手に入れてはいないのだが…。
着任からもう四半世紀が経ったのだという。25年前に卒業した、その第一期生の先輩が大学生の息子を連れて訪れていた。聞くと、卒業以来しばしば近況報告に顔を出していて、その子がまだ赤ん坊のころからよく知りあっているのだという。またこちらは4年後輩になる二人組が、先生がジョニー・デップに似ていると屈託なく話していた。いくぶん緊張して訪問していたのだが、その親しげな雰囲気をみているうちにすっかりリラックスした。
先生はこう話された。大学院は、研究を仕事にする目的で進学するには、不条理に厳しい村社会の掟がまだ残ってしまっている現状がよろこばしくない。また学位を目的に進学するにも、その学位はいまのぼくの仕事ほどには経済的に有効でない。先生の専門に限ったときにその論点が避けられないことは、そういえば学生時代にも聞いたことのある話だった。文化を研究するというよりも、じぶんで小説を書いてみるなり、ジャズの演奏を再開するなりのやりかたで、文化を実践することを考えてみてはどうだろう。そうも促されて、その気晴らしこそがあるいは仕事からのほかにぼくの求めていることかもしれないと目からウロコが落ちた気がした。4年後輩の二人組のうちひとりは、外国人児童への日本語教育のための勉強をするために修士課程のプログラムを探しているとのことで、それの話も横で聞いていた。
つまるところ、研究というのも職業のひとつであって、ちまたでひとが考えるほどに高貴なものではないという考えである。人格者ばかりでないから、誠実に仕事をしようとしてかえって足元をすくわれそうになることもある。それは国内に限った話でもなく、アメリカであっても幸福な例外を除いて、似たような事情はあるそうだ。喫煙所が封鎖されてしまっているというので、先生の古いビートルに二人乗りして、キャンパスと隣駅のあいだをぐるぐるとドライブしながら先生がそう話してくれるのを聞いた。運転席でタバコを吸っては咳き込んでしまう先生の癖も懐かしかった。
パブリシティの権化となって引く手あまたの有名教授が、陰では学内政治の猛者として周囲をねじふせながら出世の道を歩んだという話を、彼と同級生であったというぼくの父親が教えてくれたことをおもいだした。それもまたひとつの異なる専門分野の特殊な事情として数えるべきかもしれない。しかし大学とは昔ながらの体制であり、それはぼくの進んでいる道に比べてあまりに古く固すぎるというのは、納得できる。10代後半から20代前半のぼくのことをもっともよく知ってくれる大人は、父よりもむしろ先生になる。そのひとのアドバイスが、一般論ではなくぼくという人格のいまをやはりよく照らしてくれていることは、嬉しくおもった。
気晴らし。この言葉を自分に許すことに臆病になっていたかな。やるからにはすべてを懸けないとなににもならない。中途半端になってしまう、というように。しかしどうだろう。現にいま、やり残した勉強が中途半端になっていると嘆いて、いま持っている仕事を中途半端にすることはやむなし、そう考え込んでいるではないか。つまり本当に恐れているのは、なにかを中途半端にすることではなくて、むしろすべてを懸けていないとなじられることではないか? 外野の厳しい声をあらかじめ内面化して、そのカミソリで最初に自己批判をして、脇が甘いとみずからを断罪することが習慣になっているのではないか? その恐れや批判は、たぶん幻想であるとおもう。
菊地成孔がジョン・コルトレーンのことを「死ぬまでメンターを欲しがっていた」「いつまでも弟子でいたい幼稚さがあった」と評していた1。もちろんよくない意味での批評である。いつまでたっても幼稚な心。それはたしかに自分のなかにあると、一日後に考えておもった。気晴らしという言葉を受け入れていいほどにはもう大人である。そのことを見つめて悪いことはない。