初台のオペラシティにムソルグスキーのオペラを観に行った。
外国語の演劇を一流の歌手たちが演じて、しかもそれがオーケストラの演奏を伴っているという舞台。いったいどんな体験なんだろうとかねがね興味を持っていた。それを初めてライブでみた。実にぜいたくな時間だった。
古めかしいものを観に行くという意識付けで訪れていたが、演出のちからによっていちじるしく現代的な舞台だった。調度品がそれほど数多くない代わりに、白く辺の光るみっつの立方体がステージ上を縦横に移動して、シーンごとにステージに異なる印象を作る。他にも移動式のセットで救急病棟のような小部屋を用意したり、サイケデリックなマーブル模様のプロジェクションがおどろおどろしい場面の表現をアシストして、歴史譚ではありながら美術は現代をみせるような演出になっていた。
罪の意識による苦悩を背負った中年のボリス・ゴドゥノフは、くたびれたバスローブを羽織って落ちぶれたロックスターのようである。聖愚者が、修道僧が、そして偽ドミトリーが彼に迫って弾劾し、ボリスの心身は潰える。ボリスの破滅のきざしになった悪行はダイアログのなかでしか歌われず、実際にその悪行があったかどうかは巧みに隠されているのだが、終盤にいたって不具の息子を枕で殺害するにいたって彼の破滅は確定する。じぶんはいったいなにものなのか、という誰でも思い悩む平凡な良心の呵責が、帝国の政治と結びつくようにしてひとりの男を狂わせて悪人を作りだすプロットがおそろしい。
チケットは通常3万円弱までする高価なものであるのだが、新国立劇場のディスカウント・プログラムによって40歳未満の観覧者は1.1万円で観劇できる。歌手たちは群衆役だけでも百人を超える数が出演していて、舞台装置はスーパーモダン、さらに大野和士さんがタクトを振る東京都交響楽団をまるごと動員する豪華さは、正規の価格に完全に値するものだ。しかし40歳未満までを若い観客と定義して、手の届く価格でそれを提供してくれることがなんと粋なことか。
はじめてのオペラがイタリア劇でもフランス劇でもワグナーでもなくて、ムソルグスキーのロシアものだったということは生涯の記憶にとどめておこう。豊かな家庭に生まれて若い才能を早くに発揮しながら、父の家業の失敗と少ない音楽的名声のなかで倒れていった、不遇のようにもみえる作曲家。しかしその残した作品が20世紀になって蘇って、日露戦争を戦った極東で上演されるということ。それもまた感動的ではないか?