セルバンテスのドン・キホーテを、岩波少年文庫の牛島信明訳による抄訳で読んだ。
風車に突撃する偽騎士の話だということが教養としてひろく行き渡っているのは言うまでもない。しかしそれにとどめておくにはあまりにもったいない。この歳まで読まずにきたことを惜しみつつも、これからはドン・キホーテとサンチョ・パンサの教えを胸に刻んで、誠実で実直に生きていこう。そう願うことを促して、素直にそれを受け入れられる。狂気に取り憑かれた心こそが、人間のもっとも優れた美徳をあきらかにするという逆説によって、いまもむかしも変わらないこの世の不条理を生きることの価値を伝えているようだ。
前半部、たしかに狂人というほかないほどに話が伝わらないドン・キホーテは、もとより聞く耳を持たない。「緑色外套の紳士」との対話においてその彼が初めて正気の片鱗をみせる。紳士は郷紳であり、そのひとり息子が法学、さらには神学を学ぶ代わりに、なにを誤ったか詩学に転じてしまったことを嘆く。ドン・キホーテはそれをきいて、こう助言する。いちいちが美しい世俗の哲学にあふれている長いパラグラフから、末尾だけを引用する。
「そこで、郷士どの、結論として申しあげるが、貴公はご子息を、運命の星が招くところへむかわせてあげるべきじゃ。ご子息はまちがいなくすぐれた学生であり、すでに語学という学問の第一段階を見事に登られたのであってみれば、これからは語学力を武器にして、自力で人文学の頂上をきわめられるにちがいない。この人文学というのは世俗の紳士にはいかにもふさわしいもので、司教にとっての冠、また裁判官にとってのガウンのように、その人間を飾りたててりっぱにし、彼に名誉を与えるものでござる。」
緑色外套の紳士は、ドン・キホーテの筋のとおった話しぶりにおどろき、すっかり感心してしまった。そして、その深い驚嘆ゆえに、彼にたいして抱いていた、気がふれているのではないかという考えは、しだいにうすれていったのである。
p.174-175
このときからドン・キホーテは、冒険の動機に根本的な錯乱をもちながらも、平時の言行に超越的なところをみせはじめる。やがていたずら好きの公爵夫妻に見初められる段におよぶと、サンチョ・パンサもまた、悪いいたずらで据えられた領主の職務にあって、俗物とはおもいがたい深い智慧を示したあと、彼ひとりの冒険をこう締めくくる。
「さあ、みなの衆、道をあけておくんなさい。そして、昔の自由な生活にもどらせておくんなさい。わしはこの生き地獄から抜け出して、昔の暮らしをさがしに行くだ。わしは領主になったり、敵から島や町を守ったりするために生まれてきた男じゃねえ。わしには法律をつくったり、国を治めたりするよか、畑を耕したり、ブドウを栽培したりすることのほうが、よっぽど性に合ってるだ。[..]まあ、おまえさんがたは、ここで楽しく暮らすがいいさ。公爵さまには、こう言っといてくれろ。サンチョは裸で生まれて、今も裸。損もしなけりゃ、得もしてねえってね。」
p.291-292
このようにして、現実と幻想の区別がつかなくなったドン・キホーテと、彼に仕えるサンチョが、もっとも汚れない分別でもって数多くの箴言を残す。いわゆる「現実を見ろ」という助言を拒絶して、なかば時代錯誤のロマン主義に没頭することが、かえって道徳的には優れた美点に結実する。
夢見がちな魂はどの時代にも存在するが、その多くが不勉強あるいは妥協によって不徹底であることは疑いない。神の愛と騎士道精神を徹底的に内面化した精神が狂気と呼ばれるのは、その徹底ぶりが不世出のものであって、しかし聖人と呼ぶにははばかられるため、という程度の理由しか見当たらない。
正気と狂気のはざまで揺れる一本気な集中力が、本当は狂っているのか狂っていないのかと問いかけるような野暮はせず、ただ彼が満足するように冒険をさせる。そしてそれを読ませる。その手さばきは小説の仕事の基本定理に従っているが、この超弩級の小説が書かれたのは17世紀初頭のことで、現代との隔たりを西暦で比べると、それは夏目漱石から300年の過去ということになる。なんという巨大な仕事だろう。
余談ながら、ホセ・セグレーリェスの挿画もいい。とりわけ表紙に掲げられた痩せた甲冑の老人の肖像は、本棚にさしておくにはもったいなく、大きく印刷して部屋に掲げたいくらいの迫力だ。