ボクシングものであるという先入観で観たら、あんがいボクシングのみならずヤクザ、漫才、サラリーマンの世界の端々を、それらの世界に足を踏み入れていく若者たちの視点を通して描いて、シーンとシーンのあいだに独特の濃淡があった。子供が大人の世界に足を踏み入れて、あるいは逃げ、あるいは堕落をそそのかされて、分相応というものを知らされる。そのように過酷なテーマが設定されているが、最後には子供のような天真爛漫さで、あっけらかんと明るいほうに目をむけて幕を閉じる。
漫才のボケた掛け合いも、やくざの罵りも、じゃれ合いの言葉も、どれも重々しい意味を持たずにカラッと無意味ではかない響きがする。それはどうも、ビートたけしが深刻に不謹慎なことをいってもなんとなく悪ふざけの延長にみえて怒るのもバカバカしくなってしまったり、真面目なことを話しているのにどこかふざけて聞こえてしまったりする軽さのようだ。スクリーン上に彼がいなくても、彼の脚本を演じる俳優たちはみな吹けば飛ぶようなそんな薄っぺらさをもっているようにみえる。
平成初期の街の風景。自転車のベルで友達を呼び出すこと。男の世界の無邪気さと軽率さ。懐かしさをたずさえているものは、失ってしまったものにほかならないか。