セリフの比重が大きくないわりに、じっくりと演技をみせるということもしてくれず、遠くに配置したカメラをしつこくズームインして登場人物の顔がスクリーンからはみださんばかりとなり、ちょっと動くだけでも画面のなかでは激しく動いてしまって落ち着かないようなことが繰り返されて、最初の1時間くらいはあんまり楽しくみられずにいた。ブルジョワ階級の悠々自適なホテル暮らしを、動物園で動物をみるような気持ちで眺めるくらいしかなく、退屈だった。ヴェネツィアの街もほとんど映されることはなく、1911年の景色を仮構したロケーションはビーチさえもあまりきれいにみえなく(そのリアリズムは興味深い)、こちらまで不満足な旅行の気分でいた。

終盤になってようやくリズムが同調しはじめてきたのか、あるいは演出の意識的な変化があったのか、急に注意を引き付けられるようになって、そこから最後までは歓喜のモードが持続した。市内の換金所で疫病の「真相」を教えられるあたりからおもしろくなる。恋する老人が、死化粧のようにおしろいをたっぷり塗って白髪染めもして、あちこちに火のあがる剣呑なヴェネツィアの街を、美少年のあとを追ってあるきまわる。ピエロのような立ち回りが切実でこちらまで胸が苦しくなる。そこにかぶさるマーラーのアダージェットは、全編を通して反復されてきた効果が最後にもっとも素晴らしい形であがっている。

タッジオは美しい。ダーク・ボガードの男らしくない演技も秀でている。それでもなお、これはトーマス・マンの描いた死の運命を前にしたつかの間の耽美という主題があってこその映画であって、小説の世界を正しく実写化した結果として、当然に成功したという見立てをもってしまっている。つまり、うまくいくのがあたりまえのプロジェクトを、期待通りに成功させたもの、というぐあいに、意地悪なみかたをしてしまう。

原作小説の凄みは、おそろしく粘りけのある主題を中編として成立させた筆力にある。円熟期の文豪の厚みのある仕事の質に瞠目する。それを長編映画として再編するというのは、原作の神秘をすこし世俗化していないかなと感じる。