職場の友人に誘われて八ヶ岳にのぼった。ニュウという峰に登り、そこから中山という峰へと渡って、下山した。2000メートルほどの地点にある登山口から、2300メートルを越すくらいの高さまで上った。それくらいならなんとでも、という軽い心意気で臨んで、しかし岩だらけの行路は、登るには肺を、下るには脚を厳しく酷使させられた。
天気に恵まれた。雲は厚かったが、火照る身体に嬉しい涼しさがあった。ときおり差す日光も、背の高い松やら白樺がゴボウのようにまっすぐ伸びて空を蓋してくれた。そのあいだからまれにこぼれるまっすぐな光線が濡れた低木を照らすのも見事だった。
登山口をはいると、美しく板で整えられた渡りがあって、左右に一面、苔むした原生林がひろがっていた。鮮やかな緑の苔が土と木肌を覆っていて、そのすきまからみえる茶色とのコントラストも美しかった。
板の舗装がなくなると、腐葉土とぬかるみの道となった。足場のやりばを常に意識しながら、あちこちの水たまりにランニングシューズを突っ込まないように歩いた。入念に進んでも、気づけばシューズはおろか、蹴り上げた泥土でふくらはぎまで汚していた。失敗の跡を身体にまとって進んだ。
休み休み上り、ニュウの山頂につくと、開けた見通しのふもとに諏訪の街が小さくみえた。目線の高さに霧のかたまりのようにして雲がやってきて、すぐに厚く閉ざされてしまった。すこしでも晴れた視界を手に入れられたのは幸運だった。岩山の頂点で記念撮影をした。野球帽の下が汗まみれになった。タオルを頭に巻いて、その上にかぶり直した。
中山の頂は尖った岩で満ちていた。その上を渡って歩いて、腰掛け型の岩にカップラーメンとおにぎりを広げてお昼ごはんにした。手慣れた友人が小さなポットとガスボンベでお湯を沸かして、ウインナーさえ炒めてくれた。美味だった。雲のなかにいると涼しかった。日差しがさすと焼けるようだった。2300メートルの高さに、あんがいハエが多いことを知った。
お昼までに3時間を登り渡った。下山はそれよりもいくぶん速くなるだろうとみつつ、ここまでに十分な体力を消耗した身体にとってはたいへんな行路だった。まっすぐに降りていくだけの道は大きくなめらかで濡れた岩の群れに満ちていた。あらゆる一歩にスリップの罠が潜在していた。しかし及び腰で進むにしては登山口はあまりに遠かった。正しい足のやりばをリズムよく判断して次々に踏み出していかなければならなかった。
はじめのうちは後ろからくる慣れた歩みの下山客を次々に先に通した。やがてテンポをつかめて、するすると進めるようになった。なかば岩のあいだを飛ぶようにして歩けるようになった。足首をあらゆる角度に傾けて、ふくらはぎで全体重をうけとめていることが意識できた。止まって一休みすることよりも進みつづけることが気持ちよく、ほとんど駆け下りるようにして下りきった。
登山口から車で15分ほどの八峰の湯に浸かった。くるみだれのそばを食べた。談合坂のサービスエリアでほうとうも食べた。大月から先、トンネル内の故障車が渋滞を起こしていた。20キロを90分という予測があったが、サービスエリアで休憩してふたたび発つころには20分ほどに縮まっていた。
八王子駅まで送り届けてもらい、中央線特快で帰った。5時に家を出て、戻ったのが23時だった。寝て明けると月曜日だった。身体の疲れと痛みがあらわれるぶんだけ、いつもの週明けとは違う、すこし気持ちのいい週のはじまりだった。
仕事への意気込みのあいまいさを話していたときに、不意に山登りに誘われたのだった。それでいて、この一日はほとんど仕事の話はなかった。ただ自然と風呂と美食を浴びて、気持ちよく疲労して眠った。山のなかには近代のしがらみも都市の憂鬱もあるはずはない。頭のなかの小さな世界で煩悶するのではなくて、自分よりずっと大きな時間の流れに手と足で触れた。尻もちをついたから、腰でも触れた。形のあるものを生み出そうとするのとは違うやりかたで、自分自身にエネルギーを注いで癒やされる感覚があった。