夏の関西らしいものと考えて、はもを食べたいとおもった。
適当に電話をかけて予約して、向かってみたら雑居ビルのなかの小さい居酒屋だった。地方にこの手の店がたくさんあることは小学校の同級生のうち何人かの父親がそこで板前をやっていたので知識としては知っていたのだが、ひとりでこういう店にはいった経験は持っていなかったので、おどおどしながらその気持ちは隠してひとりで乗り込んだ。
10名ほどを収容する店のなかに僕の他の客はまだいなかった。陽性の検出率が高まっているということは知識として知っていて、あまり人気の多いところには出ていかないように努めて意識していたので、静かな店で食事ができることは願わしいものであった。もっとも、どこから来たんですか、と京都のアクセントで店主に尋ねられて、東京から来たと言うことには肩身の狭さもあったが…。幸か不幸か、店主はマスクをつけておらずに、おそらくそういう草の根の政治意識は持っていない様子とみえた。
この店は中年の板前兼店主と若い女性アルバイトの2名で回転していた。いちげんさんの僕にとっては店主もアルバイトも等しく僕よりはウワテの存在としてみえる。いっぽうで、やがて日もすっかり暮れて金曜夜のゴールデンタイムを迎えるようになると、地元のご老人コミュニティとおもわれるグループがいくつかやってきて気炎をあげ始めた。僕からみる視界では、板前は明らかにこの店を取り仕切るボスであって、この場の空気を逸しないようにと緊張感を高めさせる父親的存在であるのに、その店主の様子をこんどはみていると、老人グループのワガママにたじたじにされている様子で、立場と年齢によって演じる役割をダイナミックに変化させる様子におもしろみがあった。
カウンターの端に僕はいて、反対側の端で、どのような関係かわからないが京都弁のあけすけな女性とふたりで飲んでいる男性は、身体の雰囲気は70代のものであるのに、ポマードを塗って黒黒しく、男盛りの生命力が弾けている頭髪の量は30代のものだった。スナックというものも僕は訪れたことはないが、きっとこのような空間であるのだろうなとおもった。
はもは湯引きでいただいた。ふわふわしたなかに骨切りの余韻を感じさせる硬さが独特の食感を持っていて、他のどの魚とも異なるような味わいがあるが、魚の肉そのものの味はいまいちわからず。ひとくちだけ梅肉をつけずに食べていれば、はも特有の味もわかったかもしれないが、梅がまたおいしいものだからそれはできなかった。その他、鮎の塩焼き、湯葉の刺し身、魚そうめん、さばの生寿司、京鴨をいただく。いずれも美味にて満足。
手書きのメニュー表には金額の記載がなかったが、まあぼったくりということもないだろうとおもって適当に頼んでいた。しかし現金のみの会計となると、普段からそのような店で食事をすることがほとんどないもので、財布のなかには1万円しか紙幣を持たなかった。勘定は7800円。味に見合った額でありつつ、もうすこし頼みすぎていたら支払不能に陥るところであった。このヒリヒリ感は学生時代の海外旅行を思わせる。
支払いを済ませてふらりと出ていこうとしたところ、あれえお客さん来たときに傘持っていませんでしたっけ、と店主の記憶力に助けられて忘れ物をせずに済んだ。おおきに、と板前に後ろから見送られて、アルバイトの女性はエレベーターの前でお辞儀をして見送ってくれた。それらが紋切り型の接客であるとは知りながらも、この小さな店の去り際の印象としてはまことによいものであった。