金曜日に京都にいって、ブライアン・イーノの個展をみてきた。開催がアナウンスされたときから関心をもっていて、もとは妹が京都大学のオープンキャンパスに参加するのに合わせて訪れるつもりでいた。それが大学の事情で中止となったため、日程を変更してひとりで東京から向かった。平日昼の東海道新幹線は、出張客で指定席は多く埋まっているいっぽうで、自由席のほうは空席がかえって多かった。窓際の席にいて富士山を拝めたはずなのだが、弁当を食べていて見逃した。
雨の予報に反して京都はほどよく日が照っていた。駅から徒歩でまもない中央信用金庫に到着すると、会場の入口にて予約の確認をされた。予約制ということを見落としていたが、きょうは飛び入りでも見物できるとのことで、平日に訪れたかいがあった。
イーノのビジュアルアーティストとしての仕事を拝見するのははじめてであった。展覧会のウェブサイトは、音楽家であるというアイデンティフィケーション以上に、彼が視覚芸術の分野におけるパイオニアであることを強調しているが、あくまで僕にとって彼は音楽家であった。ただし、音楽制作のプロセスに不断に備わる偶然性をコントロールできているかのように、いくつものスタイルで繰り返し成功を生み出している様子からみて、きっとなにを作らせても優れた芸術家であることには変わりあるまいという揺るぎない信用を持ってもいた。
イメージの流転と循環。変化の生成。長い周期による不規則な反復。暗い展示空間のなかに光によって形作られるインスタレーションは、いずれも一面的に固定されたイメージは持たずに、刻一刻とその容貌を変えながらも激しい転覆は決して引き起こさない。ゆっくりと変わり続けて、微視的にはなにも変わっていないようにみえるのに、やがて気づけばはじめの状態からは大きく飛躍していることに気付かされるような変化が、作品に内在している。そしてその変化は、単細胞生物が多細胞生物に移るように線的な進歩を伴う変化ではなくて、春夏秋冬がめぐるように、表面的な相を変えながら本質的にはなにも変わらずに循環するだけの、円的な変化である。光と音によって演出されたインスタレーションはそのような印象を与えた。
変化とは常にそこにあるものであり、それが完了したとおもうのは認識にすぎない。そういっているように見える。万物流転というのはほんらい無常を想起させるものであり、変化とははかなくも止まらないものである。醜さから生まれた美が、ただちに滅んでいくありさまをみよ。そこでは美が醜に、醜が美に変わる極限の瞬間は存在しない。美的判断は人間の歪んだ認識による捏造にほかならず、しかも現象はそれから独立してそこにただ存在し続けることが了解される。老若男女でさえ、これらは4等分されたカテゴリーではなく、パラメータの調整によって自由に行き来することのできるスペクトラム上の任意の点の位置にほかならないことがわかる。幼い少女が、80年の時間をかけておじいさんに変化することは十分にありえる。その逆でさえ、不可能とただちにジャッジすることはできまい。
循環するイメージとは音楽にほかならない。すなわち音楽を聞くときに、ある瞬間の断面を取り出してそれを鑑賞することはできない。音楽のなかに起こるすべての瞬間は、その前後の瞬間との連続する関係における位置づけであって、ある断面に特別の印象を持つことはあっても、それはむしろ部分で完結したひとつながりのユニットを味わっていることにほかならない。イーノはそれをビジュアルアートに敷衍している。パラメータを変化させることで、出力を連続的に変化させる。それを積分するとひとつのインテグレーションとして、作品の一側面を得られる。
すべての出展作品はそのような単位をみっつでひとつの作品として提出している。ひとつの単位について周期を見極めたように思えたところで、他の単位が異なる周期で循環していれば、もう人間のクロックでは測りしれない。みっつでひとつというのは、アーティストの意図して設計したものであると感じた。ひとつだけであれば、その周期という抽象概念に目が向く。ふたつであれば、対比による抽象化に目が向かう。しかしみっつになると、複雑なリズムの抽象化をついに諦めて、そこに立ち上がる現象そのものを味わうようになる。そういう効果があるのではなかろうか。
無限にランダムな組み合わせをジェネレートすることが可能であるときに、上限が設定されていることには注目すべきである。たとえば 77 Million Paintings は、組み合わせの数が努めて抑えられているし、他の作品もそうであった。より巨大なパターン数を簡単に網羅できる手段を得られているときに、安直に無限性を希求せず、循環の周期をはっきりと設定すること。それは作品の射程をむやみに発散させない手付きのようにみえた。
光をペイントする。パラメータの入力によって移ろいゆくイメージは絵具によっては達成不能で、揮発的な光を素材としてはじめて実現されるものである。光をコントロールするための物理的なテクニックについては僕は何も知らない。画像を変換するアルゴリズムを知っていることと、光の性質を知っていることはまったく異なる問題に思われる。絵具と光を対比させるように書きはしたが、油絵にしてもそのイメージは光によってはじめて網膜に投射されるわけであって、光をなにも知らずにイメージを語るのは滑稽にさえおもわれる。この光というものはなんだろう。そういう問題提起を受け取りもした。例えば Lightboxes では、光源そのものの色相をコントロールして美しい配色を作っているようにみえたが、光に色をつけるということはどうやって可能なのだろうか。光に色をつけることが難しいのであれば、どうやって光源を包む物質の色彩を連続的に変化させられるのだろうか。イメージそのものの不思議さと同じだけ、それを媒介する制作手段の容易ならなさにも注意をひかれた。
The Ship という、最初に招待される展示室のみ、ビジュアルアートというよりは音響芸術の趣が強くあった。これもおもしろかった。靴を脱がされてその部屋にはいると、真っ暗な空間に環境音楽がただ鳴っている。どこに進めばよいのかもわからずにただ立ち尽くしていると、わずかに慣れた目が淡い照明を感知して、腰掛けるべきスツールへと導いてくれる。10m×15mほどの底面をもつ立方体の部屋に、いくつかの電球だけがスポットライトとしておかれていて、四隅にタワー型のスピーカーが、四辺のうち三辺までにはフェンダーのギターアンプが配置されている。残りの一辺は幕を張った出入り口である。おのおののスピーカーは分散した楽団員として割り当てられたパートを演奏して、音のみなもとと立方体による反響のインタラクションとして、合奏が立ち上がる。イーノらしい音色のドローンが与える軽重のトーンを土台にして、コンピューターで加工した声が詩を朗唱し、たわいのない会話のスケッチを提示し、あるいは衒いなくキャッチーに歌い上げる。
小さな部屋で静かな音楽を瞑想でもするかのように聞くことのできる環境こそ代えがたい。同じ空間でそれを愉しむ客どうしもできるだけ静かに鑑賞して、まれに衣擦れや足音が鳴ることさえ、偶然の愛おしい音楽である。背後のスピーカーから不規則な喃語が聴こえるとおもって耳を澄ませており、やがてそれはイーノの音楽ではなくて、現にそこにいる幼児が音に反応して話しているのだと感知した。これが音楽、原初の音楽であると感動した。振り返ると、幼児などいなかった。ああ! なんという幻想!
コマーシャルなロゴではなく光の重なりを表現して美しい意匠があしらわれたイベントTシャツと、名高いカードセットであるオブリーク・ストラテジーズを物販で購入した。音楽家の展覧会ではなしに、本式の芸術展として堪能した。すなわち、音楽的キャリアをいっさい意識せずとも、出展作品に固有のクオリティの高さだけで十分に楽しめる展覧会であった。意識的な芸術家だからこそこのようなパフォーマンスができるのだとあらためて思い知らされることになった。このためだけに京都を訪れたかいはあった。