エアーポッズを耳に挿して長いオンライン講演を聞いていた。3時間をまわったあたりで、充電が切れて聞こえなくなった。最後まで聞くだけならノートパソコンのスピーカーでも十分であるのだが、最後にやってくる質疑のセッションで尋ねてみたいことがあったので、マイク付きのイヤホンの準備ができていないと心もとない。

そういうときのために、引き出しにもうひとつのワイヤレスイヤホンをしまっていた。首から下げる Beats X がそれである。片方を代用するあいだに、もう片方を充電するやりかたで使っていた。近頃はそう長時間にわたってイヤホンを使い続けることもなく、ご無沙汰になっていた。

ずいぶん使っていなかったものだから、そっちの充電もまた空になってしまってはいないかとおもいつつ、試してみるよりない。よしそうしようと取り出してみると、ゴミの山に埋もれていたわけでもないのに、ケーブルのゴム表面が汚く腐食して、ベタベタの膜を作っていた。

ひとまずティッシュで拭ってみると見た目の汚れは取れて、明らかにみえる汚れはなくなった。しかしいちど肥満を経た皮膚のように、ケーブルを包むゴムがよくみるとブヨブヨとしている。取れたはずのベタベタが手に残っているのも不快で、それをいま首に下げようとは思えない。そういうことになった。エアーポッズは、5分か10分ほどケースにしまっておくと、ひとまずまた使えるくらいのバッテリーは回復してくれる。それで十分に事なきをえた。

Beats X は、捨てることにした。2019年のブラックフライデーにエアーポッズを手に入れるまで、ずっと気に入って使っていたものを手放すことになった。

はじめて製品を認知したのはたしか2016年。新木場スタジオコーストのイベントで、 MC の格好いいお兄さんが首にぶら下げているのにあこがれて購入したのだった。ネックレスのように身につけられるのがモダンな印象だった。胸まであって小さくないデザインであるのに、ゴツさとは対極の洗練されたイメージを持っていた。はっきりと覚えている。クラブイベントとバスケットボールの融合を謳ったパーティだった。トラップミュージックが爆音で流れるフロアで、缶ビールを飲みながら 3 on 3 の試合を夜通しみていた。あれは楽しかった。明け方にプールバーの脇で撮った写真の写りがよかったので、それをラインのプロフィール写真にしていたこともあった。

ワイヤレスイヤホンを初めて所有したのがこれだった。ポケットにイヤホンを持ち歩く必要がなくて、ただファッション感覚で首に下げるだけでよい。その気楽さが好きだった。首にぶら下げていると食事がとりづらいので、食事中にいったん外してテーブルに置いて、そのまま置き忘れたことが何度かあった。忘れてもすぐに気づくから取りに戻って安堵した思い出もおおい。ただ一店、渋谷のフライデーズだけは会計から10分後にもどったらもう取り戻せなくなっていた。あまり美味しかった記憶がなく、その後も二度と訪れていないのは、その苦い経験の影響がある。

なくしては買い直すことを繰り返して、通算で3本か4本を所有した。すべてホワイトだった。いま公式オンラインストアを眺めると、 X シリーズはもう存在しないらしい。 Beats Flex という、丸っこいデザインの製品が後継しているようにみえる。マグネットのイヤーバッドをくっつけたときにきれいな直線があらわれたことに強い郷愁を持っているらしく、この新しいモデルを買い直そうという気分にはどうもならない。ひとまわり下の友達への贈り物としてなら格好いいチョイスかもとおもいつつ、自分のために買って使うことはもうないだろうとおもう。そういうおもいのなかに、若さとの決別のようなさみしさを持っている。