名誉が重んじられていた時代の小さな共同体で、「おれはあいつを殺す」というぐあいに、殺人が予告される。あるものはそれを酔っ払いの大言壮語とおもい、あるものは本気でそれを防ごうと奔走する。それを止めるチャンスは無数にあったはずながら、ボタンの掛け違いが積み重なって、殺人はついに成就する。

200ページもない中編ながら、色とりどりの登場人物を用意して、ひとりひとりの人格に奥行きが与えられている。若い金持ちと、屠殺人。古いしきたりに暮らす生娘と、色男めいたよそ者。彼らの家族、友人、仕事仲間。聖職者、町長、娼婦。階級、人種、性。関係性のグラフが縦横無尽に張り巡らされて、しかもそれが押し付けがましい語りになっていない。友人を死に至らしめる事件を語る「わたし」に感傷的な態度はないはずなのだが、事実を淡々と並べるやりかたが不思議とウェットな叙情性を伴っている。

ゆっくり読んでもたかだか3時間ばかりの作品であるのに、まるで大長編を読み終えたような後味を残した。実際、スケールとしては長編クラスのものながら、徹底的な洗練によって中編に結実したものにおもわれる。若い衝動によっては書くことができず、円熟の構成術によってはじめて可能になる技芸を感じる。これは古典と呼ぶにふさわしい。

先週末に図書館から借り出してきたものを、その日のうちに読みとおした。あまりのスリルに虚脱せしめられた。この週末にもう一度読み直した。「自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは」とはじまる衝撃的な書き出しにはじまり、最終行で彼が絶命するという構成にはじめは度肝を抜かれた。事件の結末ははじめから明らかになっていて、その語り方に芸術があるので、二度読み返してもまったく新鮮に読み得た。

30年前の印刷で、赤い表紙はすこし色あせていた。装丁からみて背表紙もかつては同じ赤だったようにみえるが、すっかり白く脱色している。書架に刺さっていた時間の長さと、そう多くは手にとられてこなかった歴史をおもわせる。本の真ん中あたりに、しおり紐が足を出さないように折り返されてとじられていたから、あるいは誰にも読まれずにきたのかもしれない。新潮文庫で容易に手に入るわけで、作品が忘れられているということはあるまい。しかし小さく品のいいハードカバーで読むのも乙であった。