クライテリオン・コレクションのアーカイブから、気の向くままにお気に入りの映画をいくつかピックアップする短いビデオシリーズをこのまえ見つけた。このビデオではスターの風格を持ったレナーテ・レインスヴェという女優がフィーチャーされている。
https://www.youtube.com/watch?v=FAhUrrvwWPQ
きれいな人だな、とおもいつつ、彼女のフィルモグラフィはなにも知らないので調べてみると、『わたしは最悪。』という映画で昨年のカンヌで女優賞を獲っている。そしてそのタイトルはちょうど今月から国内公開をしているという。シネマカリテに観にいくことにした。
やりたいことはここにはないという空虚なおもいから、医者になる道を捨てて、心理学科、写真家と進路を転々とする女性をレインスヴェが演じている。しかしあちらこちらをそぞろ歩くようにして、どこにもたどり着いてはおらず、30歳を過ぎてもアイデンティティの拠り所を持てずにいる。子供は嫌いではないが、まだ作ろうとは思えない。でもその代わりになにを目指したいのか、自分でもわかっていない…。そういう話。
これはぼくの肌には合わなかった。情緒としてはぼく自身に重なり合うところも少なくなく、よく理解できるというよりも、ちょっと痛々しいくらい伝わってしまうところはあった。しかし、わかってしまうからこそ、予定調和に終止してしまった感覚が残った。現状を確認して、「それでも元気に生きていきましょう」という毒にも薬にもならない後味だけがあって、一頭地を抜くまでの感動は得なかった。ロマンチック映画なのだから、それ以上を求めて失望しても仕方がないのだけれど。
最初のショットはこうだった。サマータイムのゆうべを思わせる、夕方とも夜ともいいがたいぼんやりとした光のなかで、きれいな黒いドレスを身に着けたレインスヴェがタバコを片手に、内省的に立っている。そして遠くから耳馴染みのあるピアノ曲が聴こえる。アーマッド・ジャマルの “I Love Music” である。それだけでぼくはただちにフックされた。
しかし続けて、同居を始めたカップルが本棚に本を詰めるシークエンスで、ビリー・ホリデイが流れると、眉をひそめてしまった。なんだか、演出効果のために選曲しているのではなくて、ちょっとおしゃれなテイストで強引に成り立たせようとしているだけではないか、と一歩ひいてしまった。実際、ビリー・ホリデイの歌唱は絶品だが、このシーンでの演出の強度はそれに押し負けているようにしか思えなかった。
そうやってすこし引いた目で観てしまっているので、プロローグとエピローグに加えて、12の断章で構成するという制作のやりかたも、どこか技工が先走って必然性が伴っていないようにみえてしまった。登場人物のディテールを埋める章と、なにか大きい変化を起こす章とがあって、単にそのとおりに配置しておけばいいだけであるのに、あえて恣意的に12に割るという戦略をとったために、中編映画とその幕間のような具合に、とりとめのなさによくないピントが合ってしまっていた。冒頭で思わせぶりに12章構成であると宣言するやりかたもまた、技工の上滑りに感じた。
上映言語がノルウェー語であったのはよかった。レインスヴェはクライテリオン・コレクションのビデオで上品な英語を話していたので、てっきり英語を第一言語にしていると先入観を持っていた。ノルウェー語はドイツ語に似ていた。ドイツ語の単語がまれに聴き取れることがおもしろくおもった。
共感できるシークエンスはありつつも、共感したところでなんになるだろう、という態度も含めてみていた。観賞後にあらためて予告編を眺めてみると、「共感の嵐!」という売り文句がつけられていた。であれば間違った見方はしていなかったかな、とだけおもった。