当てこすりをすると、ひとまず溜飲は下がるが、あとになってこれがやれ誹謗だ中傷だ名誉毀損だと大騒ぎになると困るなあ、と萎縮させるような後悔もある。それは愉快でない。

バカ野郎とひとを罵り、それが「あなたの知性は低くいらっしゃいますね」と字義通りに解釈されると、よくない。異論が吹き上がる。しかし子供のころ、親や教師にバカ野郎と叱られたとき、それは存在の否定では決してなかった。むしろこちらの側が否定的・破壊的・反動的な振る舞いをしているときに、そのむなしさを白日のもとに晒して「尊厳ある生き方をせよ」という人生の指導であった。それが「バカ野郎」という粗暴な表現で出てくるのは、それより知的な態度をこちらがもっていないとジャッジされていたにすぎない。少年時代は事実、愚かに生きてきた。

特殊詐欺師にバカ野郎という。愚かな指導者にバカ野郎という。歩道を危険運転する自転車にバカ野郎という。バカげているからバカ野郎と慨嘆しているに過ぎない。社会にあってすこしでもいい貢献をして、尊厳をもって生きるべき人間が、もてる資質を活かさずに中途半端な、悪い仕事をしている。それがバカバカしいからバカ野郎という。

バカを直して真人間になりなさい、尊厳を持って生きなさい、と言っている。バカゆえに終身刑、とはならないのだから、気安くバカといって「あなたはいまバカになっていますよ」と教えてあげればよい。もしバカと言われたら、しかるべき反省をして踏み越えればよい。あるいは余計なお世話だバカ野郎と罵り返せばよい。そういう軽薄な口喧嘩こそが江戸の華、洗練された都会の仕草である。

つまるところ、バカ野郎と言わせる隙を与えずにおればよい。それが最上である。バカ野郎と言われて逆上するのは、たしかなバカ野郎である。それから、バカ野郎とおもいながら口に出さないのもよくない。バカをバカと言わないと、尊厳ある世界は作れない。バカばっかりになる。どんどんバカと罵りあって世界をよくしていこう。