シラバスの課程を終えた。しかし音声講義の不十分さから、不必要に苦しめられたという嫌な気分は最後まで残っている。自分の能力不足を棚にあげて教師を責めることほど無神経なことはないとわかりつつも、ここに関しては我慢することが難しい。ぼくの水準としてはひどく下の位置を占める講義であった。その一端は「ラジオ講義への不満」という題ですでにいちど書いている。

数式を自然言語に翻訳して読み上げることの手際の悪さは中学生でも理解できるはずであるが、ここではあまつさえ極限や積分、総和や留数の記号も口頭で読み上げている。例えば項別積分の定義を読み上げるにこのような調子であった。

ェェケーイコール…ェイチカラァムゲンダイ…マデワヲォトルコトノ…ェスィージョウデ…ェェセキブンスルコトノ…ォエフケーゼットォディーゼット

文節として不適当な箇所でいちいち言い淀んではつまずくし、文中で好き放題に不分明な弱母音を挿入する発音の癖にも振り回される。

この秘教的な暗号に対応する数式をテキスト中で追いかけて、理解できればどうということはない。しかし読んでわかるのであれば、それをあらたまって読み上げるだけの講義など、はなから不要である。わからないからこそ、あらかじめテキストを読んで、いまいち理解できないポイントに光が当てられることを期待して、講釈を聞きにきているのである。しかし気づけば晦渋な音声言語を同時通訳的に読み解くための修練を課されるばかりで、肝心の講釈は捨象されている…。

なんとか食らいついていけば学ぶところもあるはずという学生らしい信仰心は少なくとも示そうと取り組んできたが、最後まで講義を聞き終えて、いよいよなにも学び取るものはなかったという徒労感だけが残った。ただテキストが与えられて、予習復習の名のもとにそれを独学しただけであった。講義を聞いて新しく目を開かせられる経験はなかった。退屈な3ヶ月だった。

テキストのまえがきによると、2013年まではテレビ講義として実施していたらしい。ラジオ講義に移行するにあたって工夫を凝らしたとはあるが、移行したこと自体が失敗だったのではないか。中世の数学者であれば、身内だけに口伝するやりかたはありえたかもしれない。しかし分明に定義した記号を記述してアンビギュイティを排除するという方向に進んできた近代数学のあり方にこれは真っ向から反していないか。そんな悪印象を持たされたラジオ講義シリーズであった。