先週の火曜日、長く使い続けてきた iPhone X がいよいよ壊れた。スクリーンの一部が映らなくなり、画面のオンオフごとにブラウン管テレビさながらにフラッシュするようになった。

もう何年使ったかも数えていなかった。ベゼルレスの新しいデザインが投入されたその年の末に買ったという記憶が本物であれば、4年半を使い倒したことになる。2017年といえばまだ大学に籍があったころで、卒業論文の仕上げをしていたころにあたる。

はじめこそ液晶保護フィルムとカバーを付けて大事に使っていた。その次の夏、沼津に遊びにいった折に、ポケットからすり抜けて落下。液晶が機能不全になった。 Apple Care はつけていなかった。まだ若いシリーズだったから、地元のリペアショップには修理の機材がなく、帰り道に渋谷で降ろしてもらって iCracked で直してもらった。防護材をまとったところで壊れるときには壊れる。それがないからといって粗末にあつかうわけではあるまいし、いずれにせよ丁寧に持ち運ぶのだからと、このときから裸で使うようになった。そうしてみると、もっとも優れたプロダクトデザインを見にくく覆い隠してしまわないことにかえって気持ちよさがあることに気づいた

ドイツにもそのまま持ち込んだ。かの地のひとびともあれやこれやの手段で機体の防御に余念なく、ぼくが裸のマシンを見せびらかすと褒め言葉とも皮肉ともとれる称賛があった。ヨーロッパを旅行するときにもあちらこちらの SIM を付け替え差し替え、スリにあうこともなく手元にあった。

2020年の秋に有馬をおとずれた際、温泉宿の脱衣所で1.5メートルくらいの高さからポロリと落下した。ヒヤリとした。問題なく機能するが、スクリーンの右上あたりがすこし浮くようになって、手で押すとそこにスポンジでもはさまっているかのようにプクプクとした感触を持つようになった。

寿命はそこでほとんど終わったようなもの。とはいえ買い替えは安い買い物ではないし、まだ動くのだからと使い続けていた。動かなくなったら代替えとしよう。そうして待っていたら、そこから1年半ももった。大往生であった。

apple.com で注文したら、翌日にはもう届いた。次の機種は iPhone SE にした。在宅の時間が主となって、外出時に音楽プレイヤーとして使うくらいが主たる用途になっているから、上位のモデルにはもはや興味を惹かれなかった。

公式ストアで購入したところ、ふたつの支払いオプションが提示された。一括払いをするか、サードパーティの後払いサービスを利用して利率ゼロの分割払いをするか。一括購入するつもりでいたはずのところ、不況がおとずれようとしている折、すこし現金をキープしておきたいという心理もあったのだろう。24回払いとした。頭金も支払っていないさきから商品が配送されてきて、便利なものの狐につままれたような心地でいる。

後払いのためのサードパーティアプリには、本質的には古典的な商売をいくらか現代風に解毒して、若者向けにリデザインしたに過ぎないという先入観がある。正直にいって興味はもっていなかった。実際のところ、服やら家電やらをアプリ内で買わせて、しかも分割払いを奨励するような身振りは、みていていい気分ではない。アップル社のお墨付きがあればこそ利用することにしてしまったものの、なにか間違った選択をしたのではないかという不安はある。