2泊3日で別府をおとずれた。鉄輪の柳屋という宿にお世話になった。
宿に併設のリストランテで創作コースを食べた。地産の有機栽培による食材を、風土に根ざした地獄蒸しで調理して、小鹿田焼の器に盛る。それがイタリアンという形式で実現されており、地域に根ざしながら世界に開かれているよう。あらゆるディテールに誇りと尊厳がかいまみえた。伝統料理をイタリアンで、というのはいっけん風変わりなコンセプトにもみえた。しかしよく味わうにつれて、家庭的な素材をシンプルな調理法で扱うという点で、イタリア料理の伝統に正しく沿っているようにおもわれた。
美食というのは僕にとってハイカルチャー、高尚文化にあたる。敷居を高く感じるのはいまも変わらない。情緒的な障壁よりも前に、その文化体系にアクセスすることが高価におもわれた。興味がなかったはずはあるべくもない。しかしどのようにそれに入門して、どのようにその楽しみを知ることができるのかがわからずにいた。牛丼やハンバーガーがあきらかに大衆文化であるというときに、その下部構造として存在するはずの食文化の歴史が空洞になっていた。
この日の食事はまごうことなき芸術的体験で、高尚と位置づけたい。それとの出会いが東京ではなく鉄輪において発生したことに衝撃をおぼえている。絵画、音楽、文筆のような芸術がもっぱら都市を中心にして流通することをおもうと、地方の表現を地方で実現し、しかもそれによって雇用まで生んでみせる料理人という芸術家の粋ぶりに打ちのめされてしまう。地域に根ざした芸術とはまさしく文化の定義であって、この意味での料理という技芸の奥深さがたまらなく格好いい。
料理のことを、複製不可能な芸術と定義できるだろうか。工場で生産される食品をもって複製可能性をみることもできそうだが、それを芸術と呼ぶのは前衛的な身振りとなるだろう。まあ、別にきれいに定式化する必要もない。ただ素材と調理に芸術をかいまみる、じつに啓発的な時間を堪能させてもらった。
たらおさという郷土料理が、九州にいたるころには可食部はあらかた売れ尽くしてしまった北海道産の鱈の、最後に残ったエラと胃袋だけをせめておいしくたべるメニューとして成立したという逸話がとりわけ心に残った。昔のひとは偉い。
鉄輪はいたるところで蒸気塔がもくもくと息巻く、みたことのない町並みだった。古くから温泉が湧く土地であったことは、中世の農業や集住に関していえば大きなディスアドバンテージであった。やがて地獄と呼ばれるようになった。温泉療法の発見と、戦後の観光産業の発展によってはじめて、地獄という呼び名が前向きな意味で用いられるようになった。厳しい歴史を克服してきょうの鉄輪になるというのはそれ自体が感動的な話に聞こえた。弱さが転じて武器になるという話はなんでもグッときてしまう。