10年前のきょう、9時45分の新幹線にのって東京にきた。大学の合格発表が3月6日にあって、入学手続きと部屋の契約、引っ越しの手配までのドタバタをして、まっさらな気持ちで4月を迎えていた。

いまの僕が10年前に期待していたところに立っている気はしないけれど、それは「なりたい自分になれていない」という話でもない。なりたい自分の像などそもそも結んでいなかった。なにも考えないでいただけかもしれない。しかし毎日は楽しかった。

はじめての一人暮らしで、武蔵境のイトーヨーカドーではじめての買い物をした。換気扇をつけずに料理をして煙報知器を鳴らした。

そういう初々しい生活のことが書いてある日記が手元にある。2010年から2016年まで、おどろくほどマメにつけてある。高校生活があまりに楽しすぎるものだから、忘れてしまうことが痛ましくて書き始めた。もう一年前のぶんの日記帳があったはずで、そこにそういう動機が書いてあった気がするのだけれど、その一冊はどこかにいってしまった。

2012年に買った5年日記をびっしりと文字で埋め尽くして、次の一冊を買い足すことはなかった。どうしてやめてしまったのかはどこにも書いていないのでわからない。最後の年は渋谷の会社でインターンをしていた。仕事というもののリアリティが生活のなかにだんだんとはいってきて、書くに値すると思えるようなものがすこしずつなくなっていたのかもしれない。

10年とはなんともキリのいい数字であるけれど、そのきょうはわずかな感傷があるほかは普通の一日だった。友達から電話がかかってきたけど、この話をすることを忘れてさえいた。強く意識しない限りは、自分にとってもその程度のものにすぎない。

ほんとうであればいまごろはどこか違う国にいて、フレッシュな気持ちで楽しくやっていたはずなのかもしれない。東京から海外に出ていくことも数度あったわけで、10年経ってまだ東京にいるのか、というところにフラストレーションがある。しかし自分の頑張りではどうしようもない問題によって移動を阻害されているわけで、不満足もいくぶんいたしかたない。こんなに世界を遠く感じるようになるとは想像していなかった。

病気も戦争もなくなって、また毎日が楽しくてしかたがないとおもえるような時間を持てるといいな。それか医者か軍人にでもなるか。