bunkamura ミュージアムに、ミロの展覧会をみにいった。いくつかの小さい作品を単体でみたことはあったが、回顧展のかたちでまとめて鑑賞するのは初めてであった。

シュールな作家ではあるが、ダリやマグリットのようなグロテスクさはなく、細い線でキュートなモチーフを多く使う。こういう印象を持っていた。 KOHH のリリックにも登場していて、なんとなくカッコいいイメージがついていた。

スペインの作家であるという知識はあった。カタルーニャのひとであるということは知らなかった。どうりで名前がスペイン語の発音とずれているわけだ、と得心した。

1893年の生まれということを意識して、製作年から年齢を逆算して、そのときのミロがどういう年代であったかを考えながら作品を眺めるのは楽しかった。

例えば、20代の作品には、自分のスタイルを模索する芸術家の姿があらわれている。あきらかにセザンヌ風の静物画や風景画があるとおもえば、いっぽうでは未来派風のスタイルにも手を出してみたり、自分のモチーフを探そうともがいているようにみえる。

1925年、32歳のときに、「夢の絵画」シリーズに着手している。ぼくがミロと聞いてまっさきにイメージした、薄水色の背景に神経質な線描をおくスタイルの作品は、このころのものであるらしい。支点をおかずに一筆書きしたみたいなふよふよに歪んだ線は、あきらかに独特の表現にみえる。実物を目にすると、薄水色の背景はその背後のキャンバスの木枠をぼんやりと浮かび上がらせるように塗られていて、作品の作品性、物質の物質性を前景化する試みも込められているようにおもわれた。これはデジタルな鑑賞では気づきにくかっただろうし、現物をみられることの嬉しさのひとつとなった。

40代になると、冒険心がなくなったとはいわないが、どこか丸くなったような印象が出てくる。画風は30代で確立したものと大きく変わっていないようにみえるのだが、自信がはっきりとついてきたからなのか、軽薄さは薄れ、どっしりとした印象になる。年齢を意識するあまりステレオタイプを投影しているのかもしれない。しかし芸術というのもひとの作るものであるから、あながち間違った印象ではないのではないかとおもう。完成度はたしかに高まっているようにみえるが、僕は30代の作品のほうにより強い情熱を感じ、惹かれた。

日本との関わりを主眼に展示が構成されるということには、コマーシャルに傾いた印象が先入観としてついていた。しかし体験してみるとずいぶん充実したものであった。

例えば、江戸末期から明治初期にかけて、浮世絵が西欧向けの輸出産業として成立していたというのは新しい知識であった。このときに輸出されたちりめん絵が、バルセロナの個人から出品されている。江戸城と富士山が並んで描かれる滑稽さは、富士山の麓にスカイツリーが生えているような観光キャンペーン写真と完璧な相似をなしている。外国人向けの日本のイメージがこのころすでに確立されていたことがわかる。

あるいはミロ作品の初来日が1932年であったということを読んで、戦争前夜の日本のシュールレアリストの活動に思いを馳せる。自由な想像力がものの10年でまったく無効化されてしまうということがあまりに痛ましく思われる。いまから10年後、と敷衍すると厳しい思いがあるが、そう能天気にもいられないような切迫感を持たずにはおれない。

50を過ぎてから、創作意欲があきらかに燃え上がっているのをみるのは明るい気持ちを与える。大戦が終結したことと、国際的な名声がついてきたことが好く作用しあい、のびのびと活動している。学生時代の友人と焼き物に没頭したり、日本旅行で亀の子たわしに興奮して画材として大量に持ち帰ったり、天真爛漫な逸話がやまほど紹介されている。

子供のような絵、とは前衛芸術家へのナイーブな感想としてよくいわれるものである。例えばピカソをそのように形容することはありふれている。知名度では劣るものの、そのような批評はミロによりよくあてはまる。そしてこの展覧会をみるに、50歳を過ぎてからの彼は、年を重ねるほどに幼児性を取り戻しているように思われてならない。

芸術家とは子供のように自由なものであるという先入観があるから、当たり前のことにも響きかねない。しかし、50を過ぎてから子供になるということには含意がある。世紀末に生まれて、20世紀前半のたいへんな時代に青年期を過ごして、病弱、気苦労、スペイン内戦、あげくに世界大戦と、内にも外にも息苦しい時間を呼吸した人格が、終戦から先じわじわと子供の美徳を取り戻していくというのは、感動的である。あまりによくできすぎていて、かえって陳腐な観察になってしまっているかもしれない。しかしこの展覧会でみた作品は、神経質で閉塞した様式から自由な精神への移行を雄弁に語っていて、希望と楽天が美しい余韻として残った。